auf der Reise~旅の空~

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作家を目指す院生です。ドイツ留学時代の日記を中心に更新していましたが、院試(転科)→就活などのドタバタ挑戦ブログだったり、お出かけブログだったりと、割りと何でもアリで色々やっています。美術館めぐりも少々。

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ドイツ留学~日独協会~



語学学校の掲示板に、自己紹介とメールアドレスを書いた紙を張り出した。私もそろそろ、タンデムというものをやろうという気になったのである。

タンデムとは、互いの母国語を教えあう勉強上のパートナーのことだ。

語学学校のいいところは、日本人率が10%以下で、ヨーロッパを中心に様々な国籍の生徒が集まる点だが、それはドイツ人とは知り合いにくいという欠点でもある。

十月のはじめ、私の初めてのタンデムパートナーになったのは三十半ばのドイツ人男性だった。その人は日本人にドイツ語を教えているという教師で、とても丁寧にドイツ語を教えてくれた。

彼は三週間だけフライブルクにいて、その後はシュトゥットガルトに行くことになっていたから、タンデムはたったの三回だったが、ずいぶんと実用ドイツ語を教えてもらったように思う。

その彼が――名前はもう忘れてしまった――日独協会の集まりというものを教えてくれた。

一ヶ月に一回の会合。

私は同じ語学学校の日本人Mさんを誘って、ある日の夕方、その会へと出かけていった。

会合は中華料理店で、行ってみると、すでに会長と副会長がそろっていた。

二人は夫婦で、会長が日本人女性、副会長がドイツ人男性だった。

会話が進むうちに、会長とMさんからは「日本は窮屈だったでしょう」「こっちに永住したら?」と言われるようになった。

確かに、ドイツに来てから、日本にいる以上にのびのびと生活しているという自覚はある。

ドイツに移住――。

幸せになれそうだとは思ったが、さほど悩まなかった。

「ここは楽園だから、帰る場所は日本なんです」、と私は答えた。

この日以降、多くの人に似たようなことを言われるようになるのだが――そのたびに、私はこの言葉を繰り返すことになるのである。


お二人に色々と話を聞き、会合が始まって少し経った頃、背の高いドイツ人男性がやってきた。

190センチはありそうな、神経質そうな表情の男性は、私の卒論のテーマである中世に詳しいばかりか、鍛冶屋を営んでいるという。

まだ自分の卒論について説明できるほどドイツ語が上達していなかったので、会長さんに通訳をしてもらいながら、中世のことを話した。

「君がもっとドイツ語を話せるようになったら、うちにおいで。もっと中世のことについて教えてあげよう」

男性は私にそう言ってくれた。

結果から言うと、私がこの会合に再び顔を出すことはなかった。

だから、ドイツ人男性と再び中世について語ることもなかったのだが、この時の「君のドイツ語が上達したら」という言葉は、私のモチベーションを大いに上げたのだった。

継続するかは気分次第でもいい。

いつもと違う場所に足を運ぶ楽しみを覚えれば、後は偶然が、きっと何かを連れてきてくれるだろう。



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by white12211122 | 2014-10-27 04:09 | ドイツ留学の思い出 | Comments(0)