ドイツ留学 ~乳製品泥棒~
学生寮に乳製品泥棒が現れた。
少し前から同じ階の学生が何人か乳製品を盗られたと話していたのだが、ある日の夕方、ついに私もやられた。
昨日の夕方に買った未開封の牛乳パックが空いていて、中身が半分ほど消えていたのだ。
私は乳製品が好きで、特に牛乳が大好きだ。
濃厚なものであればあるほどいいので、少し高くても、濃厚なほうを買っている。
それを、未開封のものを勝手に飲まれた。
どうでもいい話だが、一人っ子の私は小さい頃からお菓子に関心がなく、用意されていたお菓子を父に食べられてもさほど反応しなかったし、食べたければまた次の日にでも母が用意してくれるのを知っていたため、食べ物を取られて悔しい思いをする、というのは経験したことがなかった。
今回も、好物の牛乳を盗られたことは嫌だったが、それよりもやられっぱなしというのが気に食わなかった。
宣戦布告したということは、それなりの報復を覚悟してのことだろう。
牛乳パックの中に白い絵の具でもーーと思って検索してみたら、想像以上に危険そうだったのでやめた。
さすがに牛乳を盗っただけで病院送りは良心が痛む。
さてどうしてやろうか、と思いながらキッチンで料理をしていると、ノルウェーのスーラと何人かが入ってきて、乳製品泥棒のことを罵っていた。
実を言うと、みんな誰が盗ったのか、見当はついていた。
ある青年が入寮してきてから始まったというのもあるし、彼が夜中に人目を忍ぶようにキッチンに入っていく姿を数人が見かけていたのだ。
「この前私がキッチンに入ったら、冷蔵庫の他人の棚を見ていた彼が慌てて逃げ出したのよ!」
スーラがそう言うので、私もやられたよ、と言うと、彼女は英語で「私は彼を殺したい」と物騒な歌を歌いながら出ていった。
まさか殺しに行ったのかと思ったが、ただ自分の部屋にマグカップを取りに行っただけだった。
ある日学校から帰って、ふと寮の外から窓を見上げると、何人かが袋を吊り下げていた。
全て私と同じ階の窓だった。
隣にいた日本の友人Nが、あれは乳製品を吊るしているんだと教えてくれた。
ちょうど彼女も他の住人にアイディアを借りて、乳製品だけを窓の外に吊るしたところだった。
それじゃあ私も、と早速乳製品を窓の外に吊るし、翌朝牛乳を飲んでみると、冷蔵庫よりもよく冷えていて美味しかった。
冷蔵庫の温度に不満を感じていたところだったので、これは嬉しい発見だった。
冬の冷気で冷たくなった牛乳というのがまたいい。
思いがけない発見に気をよくした私は、盗みを働いた青年を許してあげることにした。
ーーというのは嘘で、それはそれ、これはこれである。
彼が夜中の二時に廊下を歩く音を聞きつけた私は、現行犯逮捕してやろうとドアを開けたのだが、彼はキッチンから出ていくところだった。
それならせめて、ジャパニーズホラーでも体験させてやる、とばかりに長い髪を少し前に下ろし、暗がりから青年の背中をじっと見つめていると、何か感じるものがあったのか、彼が振り返った。
何も言わず、じっと自分を見つめる長髪の女が怖かったらしく、青年は困惑気味にその場から逃げた。
こんなもので溜飲は下がらなかったが、まあこういうことも学生寮では珍しくないので、諦めも肝心である。