ドイツ留学 ~ペンパルの家で一泊~
留学前から活用していたペンパル探しのサイトで、私はマーケットのシーズン前に、二人の同世代の女性と知り合った。
一人はドイツのテュービンゲン、二人目はウィーン。
どちらもクリスマスマーケットで訪ねる予定があったため、現地で会おうと言うと、泊まっていけばいい、と快く提案してくれた。
テュービンゲンでクリスマスマーケットを見て回った後、私は姉妹の家にお邪魔した。
素敵なお母さんと二匹の可愛い猫に迎えられて、手作り料理を堪能したばかりか、浴槽でゆっくりお湯につからせてもらった。
日本に数年滞在した時に、湯船が気に入って設置したのだという。
学生寮でシャワーを浴びるしかない日本人にとって、久しぶりの湯船は至福の一時だった。
ところで、中世の時代のドイツは非定住者への偏見や差別が他のヨーロッパ諸国に比べてきつかったのだが、異人歓待の文化もその頃からすでにあった。
食器を洗わせてほしいと申し出たが、立派な食洗機があったので、とりあえず食器運びだけはやらせてもらった。
すると、お母さんが感極まったように、
「まあ、貴女はなんて心優しいの!」
と、抱き締めてくれた。
こんなことでそこまで喜ばれるなら、これまでしてもらった親切に対して、一体どんな言葉で感謝の気持ちを伝えればいいのか。
くすぐったく思いながら、カルチャーショックを受けた瞬間でもあった。
後で調べてわかったことだが、客人は何もしないのが普通なのである。
やってしまったと思ったが、とにかく、ドイツ人はこちらが困ってしまうほどに優しい。
夕食後、私たち三人はベッドの上でそれぞれクッションを抱いて寝転び、ノートパソコンでYotubeを見た。
日本のホラー映画を三人で見たらものすごく面白そうだ、と思いついて、『リング』はもう観たと言うし、『呪怨』を観るだけの勇気が私になかったため、一度観たことのある『ほの暗い水の底から』に決めた。
ジャパニーズホラーは怖いからなあ、と二人が驚くところを楽しみにしていたのだが、結局、飛び上がらんばかりに驚いて顔を伏せていたのは私のほうだった。
昔からホラー映画は何本も観ていたが、怖いもの見たさで見ているものだから、一向に慣れないのだ。
昔から追いかけられるのが大の苦手で、鬼ごっこですらぞっとするものがあり、ジュラシックパークの映画も、ドアに半分顔を隠した状態でしか観られないほどだった。
観終わった後、シシーが私に声をかけた。
「大丈夫?」
もちろん大丈夫、と笑ってみせたが、情けなくて、顔が引きつった。
その後、このまま寝ては後味が悪いと気づいて、なぜかスペインのホラー系ドッキリを視て大いに笑い、我が家のようにくつろいでいた私はベッドに入るなり深い眠りについた。
私はその前日にチューリヒ、その前々日にストラスブールへマーケットめぐりに出かけて風邪を引きかけていたので、かなり疲れていた。
その状態で、しかもかなりリラックスして眠っていたので、目が覚めた時、なぜか両手をあげて、文字通り大の字で眠っていた。
人の家でこんなによく眠れたのは初めてだった。
しかし、なぜこんな早朝に目が覚めてしまったのか。
窓の外はまだ暗かった。
ふと、私の手に何かが乗せられた。
ぎゃあと叫ぶ寸前で、私は声を抑えた。
見上げてみると、この家の猫が私の顔を覗き込んでいた。
にゃあ、と一声鳴いて、布団の中に入れてくれとばかりに、お行儀よく座って、私の返事を待っている。
可愛い訪問を嬉しく思ったが、私は寝相が悪いし、なによりアレルギー性鼻炎なので、猫の毛には弱い。
可哀想だが、しびれを切らせて入ってこようとする猫をやんわりと押しとどめると、猫は再び座り込んで、恨みがましい目で私を見つめた。
顔の横に座り込まれているので、そんなふうに見つめられては寝られない。
寝られないし、怖い。
布団を頭にかぶり、もう行ってしまっただろうと思って顔を出すと、まだ私のことを見つめていた。
もう一度布団をかぶって、そのまま眠りにつく。
それからどれくらい時間が経ったのかはわからないが、寝ている耳元でにゃあと鳴かれ、私は今度こそ悲鳴をあげたのだった。
そんな攻防を繰り広げた翌朝、私が歯を磨いていると、いつの間にか足下に猫が座っていた。
試しに移動してみると、ついてくる。
二階にあがってもついてくる。
歯を磨き終わって椅子に座ると、待っていたように膝の上に丸まって、そのままくつろぎ始めた。
一方、もう一匹の猫はまるで私に関心を示していない。
姉妹がキッチンで朝ごはんを作ってくれている音を聞きながら、私はこの執着はなんだろうかと考えていた。
ちなみにこの訪問の後、私はお礼を兼ねて、シシーにはクリスマスカードを、妹さんには日本のお土産と、お母さんには手袋を送った。
その日はテュービンゲンからそのままシュトゥットガルトのクリスマスマーケットに向かったのだが、中央駅で綺麗な紫色の手袋を見つけたものだから、お母さんが探していたのはこういう色合いの手袋だろうと確信して、購入しておいたものだった。
ペンパルの家に泊めてもらったこの記憶は、一時だけでも家族の中に仲間入りさせてもらったようで、かけがえのない思い出となったのだった。