月映 (東京ステーションギャラリー)
丸ノ内駅の北口改札を出ると、すぐ左手に東京ステーションギャラリーという美術館がある。
間抜けにも私は右手へと歩き、ステーションギャラリーはどこですかと尋ねて、駅員さんに「えっ」という顔をされた。彼女の視線を追って振り返ると、真後ろにあった。年に一回ほどしか通らないにしても、自分の視界の狭さに驚かされる。硝子の壁には大きなポスターが貼ってあった。
月映展。
今回の展覧会の題名であり、ある同人誌の名前でもある。
今回の美術鑑賞は哲学科の授業課題として指定された日本美術で、最初はあまり乗り気ではなかったのだが、展覧会の説明文を読んで「三人の友情」「同人誌」という言葉を見つけると途端に興味を惹かれた。
身近にファンタジーを書いている友人がいない私にとって、同人誌や小説仲間というのは憧れだった。切磋琢磨だとか、友情だとか青春だとか。
何故だろう、チラシに載せられた数枚しか見ていないのに、濃密な世界の気配があった。
三人のうちの一人、田中恭吉は、結核で早い時期に亡くなった。残された二人はたった一年しか続かなかった同人誌の思い出をいつまでも懐かしみ、生涯芸術に携わったという。
単なる友情がテーマだとは思わなかった。不治の病であった結核は国民病と呼ばれるほど蔓延していた。
死が間近に迫ることにより、自分がいつか必ず死すべき存在であることを強く意識させられる。友情と死の影、そして追憶。それが、私がこの『月映』に抱いた印象であるが、作品から漂う雰囲気は悲壮感ばかりではない。そこに、作品の魅力があるのだと思う。
生の限界を感じれば、永遠について考える。肉体が滅びた後も残る「何か」があるのではないかと期待する。死と生について考えを巡らせ、その想いを作品へと昇華させる。
私は結核にかかってしまった本人よりも、友人の一人である藤森静雄の作品に惹かれた。死にゆく友人を想ったであろう作品にばかり目が向いた。藤森の作品の多くは影をともなっている。
《かげ》をはじめとして、《永遠》《さみしき生のうた》《こころのかげ》。そして、《死によりて結ばれる心》。また、藤森が花言葉を知って描いたかはわからないが、《沈丁花》の花言葉は「栄光、不死、不滅、永遠」である。
田中から送られてくる書簡を読んで、藤森と恩地孝四郎は死について考え、それを作品としてどう表現するかを考えていたが、『月映』を通して語られる死には、『月映』の発展と永遠への期待、友情と創作意欲が加わって、「死の影」に不思議と希望的な雰囲気を感じた。
図録の他に、いかにもな梅酒があったので、まんまと釣られて購入した。
本当に影響を受けやすいタチだと思うが、今、私は同人誌をやりたくてうずうずしている。
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