auf der Reise~旅の空~

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作家を目指す院生です。ドイツ留学時代の日記を中心に更新していましたが、院試(転科)→就活などのドタバタ挑戦ブログだったり、お出かけブログだったりと、割りと何でもアリで色々やっています。美術館めぐりも少々。テニスを辞めてジム通い始めました。就職決まったので次は修論です。

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<   2014年 12月 ( 26 )   > この月の画像一覧

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以前シグマリンゲンへ日帰り旅行をしたメンバーで、クリスマスマーケットを見にストラスブールを訪れた。

この日、ストラスブールは濃い霧に包まれており、気温はマイナス7度、私が初めて体感した寒さだった。

つい薄着で来てしまったため、シグマリンゲンに引き続き、またしても寒さに震え続けることとなった。

霧のせいで写真も上手く撮れないし、一度来ているので真新しいものもない。一緒に来ていたスイス人イタリア語話者のギャル三人組は別行動で、マーケットを少し見て回ったかと思えば早々にカフェへ引っ込んでしまい、帰りのバスの時間までほとんど外に出てくることはなかった。

イタリア人青年のチロはもったいない、彼らは何をしに来たんだろう、と呆れ混じりに不思議そうにしていたが、私もカフェに引きこもりたかったし、実際そうするべきだったのかもしれない。この後少し体調を崩したため、翌日のチューリヒのマーケットでは微熱の体を引きずって回ることになったからだ。

しかし、マーケットのマグカップが欲しかったし(この頃にはマーケット巡りというより、地域限定のマグカップに専ら熱をあげていた)、語学学校のメンバーとどこかへ出かけるのは極寒の中でもやはり楽しい。

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世界遺産の大聖堂を見て、時々カフェで体を温めながら五時間以上散策を続けた。前にクラブに誘われたことがあったが、夜11時から明け方5時までだと聞かされて断った。本当に彼らの体力は底なしだ。

夜になると、あちこちでイルミネーションに光が灯り、昼間よりも写真が撮りやすくなった。お目当てのマグカップも手に入れて満足したところで、帰りのバスの時間になった。

悪寒がするので早めに就寝したが、翌日体調を崩したまま、予約していたチューリヒ行きのバスに二時間揺られて、世界一大きいと言われているスワロフスキーのクリスマスツリーを見に行ったのだった。

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by white12211122 | 2014-12-28 20:12 | ドイツ留学の思い出 | Comments(0)
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十二月の始め、音楽留学でこちらに来ている日本人学生のMとフランスのコルマールへクリスマスマーケットを見に行った。

フライブルクから一時間もかからない距離にある、アルザス地方の小さな町だが、ジブリの『ハウルの動く城』の舞台ということで知っている人も多いだろう。

昼過ぎにバスが「マルティーユ・ドゥ・ラ・レジスタンス広場(Place des Martyrs de la Resistance)」に到着した。

しばらく歩いて、アルザス独特の雰囲気に圧倒された。完成された作品を思いがけず見つけたような、ゆるやかな驚きと高揚。

世界遺産のあるストラスブールも魅力的だったが、アルザス地方の雰囲気をはっきりと感じたいのなら、コルマールのほうがずっといい、と早々に思った。アルザス特有の建築様式と、ドイツ文化の名残、小ヴェニスと呼ばれる水辺の風景――ストラスブールにもこれらの要素はあるのだが、広いせいか、コルマールほど濃密な空間ではない。

アルザス地方の建築物は、コロンパージュ(Colombages, 英語でハーフティンバー)といって、木の骨組みを露出させている。壁の色は淡いライトブルー、イエローから、マゼンダなどの濃い原色まで、様々に彩られているが、パッチワークのように一つの作品として不思議な調和が取れている。

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クリスマスマーケットはドイツに比べて華やかで、アルザス地方特有のワインレッドとチョコレートブラウンの組み合わせ、隙間に存在する白やその他の色が屋台や商品にも反映されていた。

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幸運のコウノトリ、可愛らしい絵葉書、アルザスの織物、ブレッツェルのクッキー型など、女性が好みそうなラインナップだ。

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1537年に建てられた「プフィスタの家」は『ハウルの動く城』のモデルになったと言われている。まるで骨董品のように、町の一角に佇んでいた。

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暗くなった頃、フランスのケーキを堪能して、暗闇の中で青白く輝くメリーゴーランドや天使のイルミネーションを写真に収めて、フライブルクへと帰った。

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今回の小旅行で、私とMは一人の日本人男性と知り合った。

バス待ちの列に並んでいた時に、「日本人ですよね?」と突然話しかけられて驚いた。

すぐにバスが来たため、その時はあまり話さなかった。

バスを降りて、さあ散策するぞ、さてどこから行こうかと迷っていると、先ほどの男性が「知人が遅れてくるので、一時間ほど一緒に回ってもいいかい」と明るく聞いてきた。

一回り年上の男性ということで、実は少し警戒していた。年下とは言え、初対面の二人組に全く緊張せずに「一緒に回ろう」と言えるものだろうか。もし危ない人だったら一撃目はどこを狙おう、などと物騒なことを考えたりもしていた。

結局このR氏は危ない人でもなんでもなく、子どもの頃に英語圏に移住したためか、日本人にはない陽気さを持つ面白い人であるとわかり、帰国後も定期的にやり取りをする、年の離れた友人となった。R氏は常に旅をしていた人だったから、会った回数は片手の指で足りる程だが、フライブルクで出会った日本人の友人たちと一緒に出かけたりもしたから、いずれも印象深い思い出となっている。




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by white12211122 | 2014-12-28 17:13 | ドイツ留学の思い出 | Comments(0)
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ニュルンベルクから、最後のクリスマスマーケットとして私が次に向かったのはレーゲンスブルクという旅人の町だった。

レーゲンスブルク行きと表示された列車に乗る前に、最終確認として駅員にも一応聞いた。だから、私のミスでないことだけは確かだ。

結果から言うと、私はレーゲンスブルクに行くことが出来なかった。

一時間でつくはずが、予定より三十分過ぎても一向に着く気配がない。

不安に思っているところに駅員が来て、チケットを切った。間違った列車に乗ってしまったのであれば、レーゲンスブルク行きと書かれた表示に反応するだろう。しかし、駅員は何も言わずに去っていった。

やはりこの列車で合っているのだ。ドイツ鉄道が大幅に遅れるのはいつものことだし、どうも神経質になりすぎていたようだ。

ほっとしたが、出発してから二時間経っても着かない。さすがにおかしいとようやく気づいて、売り子のお姉さんに声をかけた。

「この列車はレーゲンスブルク行きですよね?」

「何言ってるの。これはベルリン行きで、レーゲンスブルクは逆方向よ」

頭が真っ白になった。全く知らない場所へと運ばれている上に、ベルリンには三時間後に着くという。後からこの話を聞いた友人の何人かは、そのままベルリンに行ってしまえば良かったのに、と言ったが、この時の私にそんなことを考える余裕はなかった。

Wifiの飛んでいるところでしか使えない携帯では、急にベルリンに宿を取るのも難しいし、レーゲンスブルクからフランクフルト、フランクフルトからフライブルクまで戻るチケットはすでに購入してあった。

明日から授業があるし、何よりベルリンには別の時にじっくり回るつもりでいたから、こんな中途半端に行くのは抵抗があった。

どうしよう、とうろたえる私を見て、お姉さんはこの先に車掌や駅員の休憩ブースがあるから、そこでなんとかしてもらえばいいと教えてくれた。

「最悪だよ」

私が言うと、お姉さんはクスクス笑いながら、いい旅を、と言い残して去っていった。

車掌さんと二人の女性駅員に「レーゲンスブルクに行きたい」と言ったけれど、時間の関係で無理だと言われた。楽しみにしていた最後のマーケットに行けなくなって、私は脱力した。椅子を勧められて、のろのろと彼らの前に座る。それじゃあフランクフルトに行って、そこからフライブルクに――と言いかけたところで、時間を調べてくれていたおばさんの駅員が短気にもテーブルを叩いて、「どっちなのよ!」と怒鳴りつけてきた。車掌さんがやめろよ、と肘でおばさんをつついたが、こちらはそれどころではないので、怯みもしなかった。とりあえず最後まで話を聞いてよ、と説明すると、おばさんは納得したらしく、もう一度時間を調べてくれた。

時間を調べてくれるのはありがたいが、客を怒鳴りつける鉄道会社とはいかがなものか。そもそも、そちらのミスではないかと思ったけれど、それに憤慨するには、このような「日本ではありえないこと」に慣れすぎてしまっていた。この国の鉄道と郵便は博打だと思う。

「それじゃあ、次のザールフェルトで降りて、乗り換えてくれ。そうしたら、このフランクフルト発の最終便に間に合うよ」

鉄道会社側のミスということで差額は払わずに済んだものの、自分がどの州にいるのかもわからないまま、小さな町に降り立った。

次の列車まで一時間あった。ふと、それならこの町のマーケットを覗いてみようという気になった。レーゲンスブルクのマーケットに行けなかったぶんを補うほどではないが、ただで転ぶのは性に合わない。

自分が地図上のどこにいるのかわからないというのは、妙な気分になる。

そんな状態で見知らぬ町を歩き回るのは、夢で自分の脳が作り上げた景色の中を徘徊しているのと同じくらい、現実味がない。

日暮れと曇り空のせいでどんよりと暗い一本道を数十分歩いたところで、ようやく子ども連れのおじさんとすれ違った。

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「すみません、クリスマスマーケットはどこでやっていますか?」

「この先をまっすぐ行けばやっているよ。良いクリスマスを!」

おじさんの言うとおり、広間には数件の屋台が寂しく並んでいた。


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広場にはサンタクロースがいた。広場をうろうろしながら、時折子どもたちにお菓子を配っている。

クリスマスシーズンと言えど、なんでもない日にサンタクロースがいるのはこのザールフェルトだけだった。

私は一目散に駆けていき、一緒に写真を撮ってくれませんか、とお願いした。

ザールフェルトのサンタクロースは快く了承してくれて、ついでにチョコレートもくれた。

ここにもマグカップがあったので、最後の記念として購入した。

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チョコレートをほおばりながら、白のグリューワインで温まる。

とんでもないハプニングに見舞われたけれど、自分ではおそらく行くことのなかった知らない土地のマーケットを見て、サンタに会えたのは大収穫だった。

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列車の時刻が近づいてきていた。

私は一時間の短い滞在を切り上げて、駅へと向かった。

この後、フランクフルトで列車が二時間遅延したことで、フライブルクの寮に帰宅したのは夜中の一時過ぎだった。

ちなみにザールフェルトというのは、州都エアフルト、テューリンゲン州にあり、その位置と緑が豊かなことから、「緑の心臓」と呼ばれている――ということが、その後のネット情報で判明した。

レーゲンスブルクという町に心残りを作ってしまったが、ドイツクリスマスマーケット巡りはこれでおしまい。

いつかまたクリスマスシーズンに来ることがあれば、その時こそ旅人の町レーゲンスブルクを訪れたいと思う。


⑩~ドイツ近隣諸国のクリスマスマーケットに続く

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by white12211122 | 2014-12-25 01:48 | ドイツ留学の思い出 | Comments(0)

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クリスマスの五日前に、私は沖縄から来たNとニュルンベルクへ向かった。

それが彼女との最後の旅であり、もともと三ヶ月だけの滞在と決まっていたため、Nは二十五日に日本へと飛び立った。その後はちょうど一年が経つ今日まで全く連絡を取り合っていないが、まあ元気にやっているだろう。

カールスルーエでの乗り換えを危うく寝過ごしそうになったが、ふと「降りなくていいの?」と自分の声がした。一人暮らしや一人旅が長くなると、つい脳内で二つの声が交互に議論を始めるといったことが増えるのだが、この時は妙だった。その声に促されるまま視線を横に向けると、カールスルーエという標識が目に飛び込んできて、慌ててNを起こして列車を出た。

その後は特に問題もなく、日が沈みきった五時頃に、最古と言われるクリスマスマーケットの開催地・ニュルンベルクにたどり着いた。


ニュルンベルクではサンタクロース(聖ニコラウス)ではなく、クリストキントという金と白の衣装をまとった女性が広場の舞台に登場する。残念ながら私はクリストキントを見られなかったが、あちこちにクリストキントの像が吊るされているのは見かけた。

クリストキントは金髪に巻き毛の少女の姿だが、幼子キリストのことである。時を経て、女性的な妖精の像に変わったのだという。

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最古と言うだけあって、マーケットには濃厚な地域独特の空気が流れていた。

朝早くや昼間にしか見かけない市場や、川に映るクリスマスツリー、荘厳な白色の教会――。

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立ちのぼる湯気をじっと見つめる子どもたち。

ニュルンベルクのマーケットには子どもが色々と体験できる屋台がそろっていて、「子どものためのマーケット」と明記されているコーナーがあった。

子どもが楽しむことを重視した祭りでは、はしゃぐ子どもたちの姿につられて、こちらもより浮かれた気分になれる。

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子どもが楽しめると言えば、列車の乗り物からスケートリンクまでそろっていたシュトゥットガルトのほうが子どもにとっては面白いかもしれないが、私はニュルンベルクの「夜の遊園地」のような不思議な雰囲気のほうが気に入った。

ここでは水色とピンク色のマグカップが売っていた。

どちらも可愛いので迷ったが、水色のほうが珍しいからと言って、そちらを選んだ。

どちらがいいかとはしゃぐ私たちを見て、お店の人が笑っていた。よくも悪くも、日本人は実年齢より幼く見える。

後から来た一人のドイツ人が、日本語で「カワイイー」と言って笑った。

日本人女性がよく言う言葉として、時々この言葉を覚えている人がいる。彼らははしゃいでいる日本人を見ると、得意げに「カワイイー」と声をかけてくるので、一緒になって笑わせてもらっている。

夜遅くまでマーケットを堪能したあとで、泊まる予定のホテルに向かった。広々とした部屋で、普段はしない恋愛の話なんかをして、ニュルンベルクの夜は過ぎていった。

次の日、二人でカイザーベルクという城を見た後で、私たちは別れた。

Nはサッカー観戦へ、私は美術館へと出かけていった。


⑨ザールフェルドに続く

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by white12211122 | 2014-12-25 01:01 | ドイツ留学の思い出 | Comments(0)


フランクフルトから列車に乗った私は、二十分程でダルムシュタットにたどり着いた。

どうやら大きな都市よりも比較的小さな町の方が私の好みらしく、フランクフルトよりもダルムシュタットのほうが印象に残っている。

ダルムシュタットについては何も調べずに来たので、その辺にいた人にマーケットはどこでやっているのかと尋ねた。

普通、クリスマスマーケットは中央駅の近くで開かれているものなのだが、ダルムシュタットでは少し離れている場所での開催だったため、路面電車に乗った。

マーケットはこじんまりとしているほうがいい。

大体店の商品はどこも同じだから、一箇所に固まった少ない露店にはクリスマスマーケットの魅力が集約されている。

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グリューワインで体を温めて、ゆっくりとクリスマスマーケットの雰囲気を堪能した。

フランクフルトほど人が多くないのも良かった。

一時間ほどで、私はダルムシュタットから引き上げて、再びフランクフルトへと戻った。

この日、私は初めてドミトリー宿というものを使用した。

ドミトリー宿とは、シャワー・トイレ付きの部屋に二段ベッドが二台から四台並んでいるのを、20ユーロ程支払って一台借りるというシステムで、部屋の中には見ず知らずの人間がいるという、少しばかりスリリングな宿である。

男女共同という格安部屋もあったが、さすがに女性の四人部屋を選んだ。

私より先に中国人の女子学生が二人いて、ドイツ語で少し話した。

大学が冬休みに入ったので、彼女たちもクリスマスマーケット巡りをしているところだった。

この二人とは打ち解けて話せたのだが、後からやってきたドイツ人の老婆は相当の変わり者で、夜中に突然わめくわ、寒いのに窓を開けっ放しにするわで、散々だった。格安宿と言えば大半は周遊中の学生だが、中にはわけのわからない人間もいるわけで、居合わせた人間によって快適さが決まる。

別にそこまで格安宿にこだわる必要もなかったのだが、沢木耕太郎さんの『深夜特急』を読んでドミトリー宿というものを知って、どうしても試してみたくなったのだ。

最終的に「やかましい!」と日本語で一喝して静かにして頂き、やれやれと思いながらベッドの中に潜り込み、朝早くに空港へと向かった。

散々だった――のだが、そういうところを含めても、ドミトリー宿には妙な魅力がある。それは見知らぬ旅人同士が一夜を同じ部屋で過ごし、時折会話を交わすという非日常性のためだろうか。とにかく、私がそれで懲りたということはなくて、その後も何度かドミトリー宿に泊まったのだった。




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by white12211122 | 2014-12-24 23:59 | ドイツ留学の思い出 | Comments(0)
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ペンパルサイトで知り合ったウィーンの友人が家に泊まらせてくれると言うので、土曜日から月曜日までの二泊三日、お邪魔させてもらうことになった。

ドイツから飛行機を使って海外に行くのは初めての経験で、私にとっては冒険でもあった。

フライトは朝の九時にフランクフルト発で、朝にフライブルクを出発したのでは間に合わない。

それで、金曜日の語学学校の授業が終わってすぐに、フランクフルトへ出発して、一泊することにした。

フランクフルトには夕方の五時頃に着いた。

辺りはすでに暗く、東京を思わせる高層ビル群の光とマーケットのイルミネーションの輝きが入り混じって、夜の都会をぼんやりと浮かび上がらせていた。

ドイツに初めて来た日は慌ただしく空港を去ったため、フランクフルト市内に足を踏み入れたのはこれが初めてだった。

フランクフルトは外国人のスリが多いと聞いていたから、胸ポケットの付いたタンクトップを着て、その中にパスポートと現金、カード類を入れてチャックを閉め、ポケットの中には僅かな紙幣とコインだけを入れていた。

地味な分厚いジャケットに、バックパッカーのような黒いリュックを背負った私は、明らかに裕福な観光客には見えなかった。

それでも私は隙を見せないように、足早に歩いていた。

後から思えば過剰な警戒だったかもしれないが、クリスマスマーケットがない時でも、フランクフルトではうっかりしていると貴重品を盗まれてしまう。

フライブルクで知り合った同い年の日本人青年は、うっかりズボンの後ろポケットに財布を押し込んだままにしていて、現金5万円を盗まれた。別の財布にはわずか20ユーロ程度しかなく、今から日本の両親に頼んでも、銀行にお金が振込まれるのは翌日になる。

彼は持っていたギターで路上ライブをやって当座泊まるのに必要なお金を稼ぎ、なんとかなった。

――と、こんなことが咄嗟にできればいいが、異国の祭りでは特に気をつけたほうがいい。

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シュトゥットガルトほどではないが、フランクフルトも大都市というだけあって、マーケットの規模が大きい。

マグカップのデポジットで現金を返す代わりにゲームコインに換金できる所もあり、ささやかだがギャンブルを楽しめるようにしてあるあたり、さすが金融街だ、などと適当なことを思ったりもした。

私の印象に残っているのは、このマーケットではイルミネーションが凝っているな、というくらいのもので、例えば地域の特色を感じたとか、マグカップをはじめとした店の商品が可愛かったとか、面白い交流があったとかいうことはなくて、一通り見てしまうと、時間が余った。

これが最初か二番目のマーケットであったなら、もっと反応も違ったのかもしれない。しかし、もうずいぶん色々なマーケットを見ていたので、品物も見慣れてしまい、マグカップを集めるか写真を撮るか、という楽しみの他には、この時にはもう何箇所のマーケットを訪れたかという、数の問題になっていた。私は取り憑かれたように、マーケットを巡る、時間と体力が許す限りの計画を立てていて、しかもどれだけ予定しても満足することはなかった。

クリスマスマーケットの魅力は、屋台に並ぶ品物ではないということになる。地域限定のマグカップも魅力の一つだが、夜の闇とイルミネーションの光、その中に人々が集まって冬の祭りを祝うという原初的な行為に惹かれるのかもしれない。

私は時計を確認して、中央駅に戻った。

この時間なら、電車に乗ってそう遠くないダルムシュタットのクリスマスマーケットも見られる。

ヴィースバーデンと迷ったが、私はダルムシュタットを目的地として、すぐさま電車に飛び乗った。



⑦ダルムシュタットに続く



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by white12211122 | 2014-12-20 04:42 | ドイツ留学の思い出 | Comments(0)

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シュトゥットガルトで出会った老婦人に教えられた通り、私たち三人は電車に乗って、近隣のエスリンゲンという町にやってきた。

世界最大のクリスマスマーケットが開かれている場で、「あそこはいいから絶対に行きなさい」と力説するくらいだから、魅力があるのだろう。

駅から出てしばらくしたところで、面白いものを発見した。

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長い棒と、バランスを取るような格好で静止している男のシルエット。

何か惹きつけられるものがあって、私は何枚もその写真を撮った。

今日はいい天気だとは思っていたが、夕日は煉獄の業火のような禍々しさで赤々と輝き、スモークブルーの空を瞬く間に呑み込んでしまった。

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他の通行人も振り返って、あの夕日はなんだ、と口々に驚きを見せていた。

綱渡りの男が、焼かれているように見えた。


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そんな禍々しい夕日に背を向けると、やはり穏やかなスモークブルーの空があって、その下にはメルヘンチックな建物に囲まれた広場があった。

ここを教えてくれた老婦人の言うことは正しかった。

メルヘンチックな広場を中心として、道の両脇に敷き詰められた過密なマーケットに、伝統的な木彫りの家。

小さな町に、絵本の世界が広がっていた。

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しばらくすると、運良く天文時計が音楽を奏で始めた。

仕掛け人形らしいが、人形自体は動かない。

操り人形の動きを連想させるような、たどたどしいオルゴールの音が広場に響き渡り、それまで歩いていた人々が足を止めて、時計を見上げた。静かなオルゴールとは反対に、楽しげな声が一層増えた。

その後、カフェに入って冷えた体を温めた。

後になって調べてわかったことだが、このエスリンゲンという町は中世の面影が色濃く残り、ドイツの発泡ワイン「ゼクト」の発祥地として、日本でも有名な町であった。ドイツ最古の木組みの家が立ち並び、「小ベニス」とも呼ばれる運河がある小さな町。

私は大きな都市よりも、こうした小さな町のほうが好きだ。

小さいからこそ、その土地の魅力的な情緒が一箇所に込められていて、一時の滞在者にもわかりやすく表れるからだ。

この町に長く住んでみたら、自分にどんな変化が訪れるのだろうか。

私は後ろ髪を引かれる思いで、その小さな町を去った。




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by white12211122 | 2014-12-19 23:53 | ドイツ留学の思い出 | Comments(0)
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テュービンゲンで泊めてくれたペンパルに別れを告げて、私はそのまま電車に乗って、シュトゥットガルトに向かった。

シュトゥットガルトのクリスマスマーケットは世界最大と言われている。

「最も」をつけるのが好きなのか、ドイツのクリスマスマーケットには他にも「最も有名なクリスマスマーケット(ニュルンベルク)」、「最古のクリスマスマーケット(ドレスデン)」があり、これらは三大クリスマスマーケットと呼ばれている。

現地の駅で私は知り合いと待ち合わせをしていた。縁あって知り合った台湾の女の子と、ドイツの大学で理学部に通う日本人の女子学生。全員、ほとんど面識はなかったけれど、バーデンヴュルテンブルクチケットという土日限定のお得なチケットを使用するために集まったメンバーだった。

自己紹介をしながら、クリスマスマーケットを見て回る。台湾の女の子はドイツ語を始めたばかりで、英語しか話せず、私の方はこの頃にはもう英語をほとんど忘れてしまっていたため、英語に精通している日本人の女子学生さんに通訳をしてもらうという形で、どうもお互い調子が出なかった。英語を全く話せないわけではないが、自分より出来る人の前で外国語を話すということだけは、どうしても恥ずかしい。

しかし、クリスマスマーケットはやはり楽しい。一年に一度の、異国の祭りなのだ。ここでも女子が集まれば限定のマグカップで盛り上がるし、食べ歩きや写真の撮りあいをしているうちに、私たちは程よく打ち解けていった。調子に乗って、子ども用の乗り物に乗ってみるくらいには盛り上がった。

世界最大というだけあって、マーケットの店が集結し、アーケードや巨大な飾りが個々を繋げて一つになっている様は、まるで小さなクリスマス村のようであった。

前日のテュービンゲンは村祭りらしく地元民が集まっているといった雰囲気だったが、シュトゥットガルトは観光客が多く、国際的な雰囲気が漂っていた。祭りというよりは集客を意識したイベントと言うほうがしっくりくる。

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色々見て回ったが、昼の三時前にはあらかた見尽くしてしまっていた。しかし、ここで帰るのも早すぎる。どうしようかと話し合う前に、写真を撮ってくれたドイツ人の老婦人が、この近くのエスリンゲンという町のクリスマスマーケットがとてもいいから、見に行くべきだと教えてくれた。一日で二つのマーケットを巡れるのなら、ぜひ行ってみたい。満場一致で、私たちはエスリンゲン行きの列車に乗り込んだ。
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⑤エスリンゲンに続く
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by white12211122 | 2014-12-19 21:56 | ドイツ留学の思い出 | Comments(0)
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九月の院試真っ只中から始めたこのブログですが、この記事でなんと100篇を越えました。

携帯スマホのアクセス数はわかりませんが、PCからは四ヶ月で約五百人の方に訪問して頂きました。

記念すべき百篇目ということで、今回は旅について書きたいと思います。

八ヶ月間の留学で、私はドイツを含めた八か国を訪れました。

近隣のスイス、フランスから始まり、緊張しながら飛行機のチケットを予約してオーストリアに行き、年末年始にはデンマークからそのままイギリスへ、その後オランダとポーランドを訪れ、帰国間近という時に、一週間のドイツ一周の旅をして、やっと帰国しました。

クリスマスマーケット巡りの時もそうでしたが、まさに何かに取り憑かれたような強行スケジュールでした(芭蕉なら道祖神だ、と答えるでしょう)。

危うく放浪癖がつくところだった、と友人たちによく言ったものでしたが、誰も自分を知らない遠くの国、町へ行くという、目の眩むような自由に病み付きになってしまって、このまま自分はどこまで行けるんだろうと、非現実的で馬鹿げた、けれど本気で望むなら叶いそうなことを想像するようになっていました。

日本に帰ってやらなければならないことーー社会に出るためのスキルアップ等を考えると、そんな想像はどうしようもない我が儘だと目が覚めるのですが、一方でこれほどの自由を手放してしまうのが惜しくて、本当の幸せとはなんだろうか、とも思うのでした。

私はこの周遊の間に、旅という病気にかかりかけたのでしょう。

幸いというか残念ながらというか、私は悪化する前に帰国したため、今では土日は家に引きこもっていたいという気分に戻りましたが、もう一人の自分というものがあるならば、実は今もヨーロッパの知らない土地をさまよっているのではないかーーと思うのです。

あまりにも思い入れが深すぎたために、自分の半身というほどではありませんが、一部を置いてきたのかもしれません。

思えば、私の人生には所々に旅に出ることを促すようなものが散らばっていました。

今もリメイクを繰り返している、冒険を主題としたゲーム、アニメ、あるいは漫画ーーポケットモンスターが流行りだしたのが、私の幼稚園の頃でした。

そして小学校高学年で再びはまったのが『ポケットモンスターspecial(ポケスペ)』という漫画、50巻を越えた今も根強い支持を得ている王道的冒険漫画にすっかり魅了されてしまいました。

留学や周遊の動機を気取らずに明かすのであれば、「ポケスペみたいに旅に出てみたかった」から。

なんだそれはと馬鹿にされるのが目に見えているので、ドイツ文化や教育、小説や卒論に絡めて説明していますが、根っこはそんなものです。

後は、これも漫画ですが、ますむらひろしさんの『アタゴオル物語』。

父が二十代の頃、仕事の疲れを癒したこの漫画を小学校の頃に読んで、私はファンタジーの世界の虜になり、痛切に願うようになりました。

旅に出て、見たこともないような未知のものに出会いたい。

その思いを叶えるために、私はそんな小説を書き続けていました。

中学三年生の頃に、私は旅のバイブルとも言える本に巡り会いました。

沢木耕太郎さんの『深夜特急』シリーズです。

インドのデリーから出発して、乗り合いバスでイギリスのロンドンまで行く。

一年間のこの壮大な旅に出た動機、その一文が心に強く残りました。

「(・・・)誰にでも可能で、しかしおよそ酔狂な奴でなくてはしそうにないことを、やりたかったのだ」(『深夜特急1 香港・マカオ』p25)

私は結局、それほど酔狂なことをしたわけではありませんでしたが、この時沢木耕太郎さんが二十六歳だったことを考えれば、二十二歳の女子大生にしては、結構な冒険をしたと思っていいかもしれません。

深夜特急にはまった私は早速ノートを作って、ヨーロッパの地図を見ながら、あるいは旅行会社のツアーパンフレットの切り抜きを貼りつけたりしながら、どのルートでどこを旅するか、計画を立て始めました。

その時の計画では十カ国回る予定で、まあ残りの二カ国は行けないこともなかったのですが、さすがにそこまで回ると語学留学と言えなくなりそうだったので、断念したのでした。

あの時、私はもちろんそれなりに勉強もしていましたが、これが人生における最後の自由、あるいは留学が終わると同時に自分の人生も終わるような気がしていたものですから、八カ国も回っておきながら、そして体力的にも金銭面的にも無理だとわかっていながら、やるべきことをやりきらなかったのではないか、チャンスを生かしきれなかったのではないかと未だに悩むことがあります。

そんなことはない、と人は言うでしょう。

人生はまだまだこれからだと。

けれど、無茶が許される無責任な大学生時代は確かにあの留学の終了とともに終わりを迎え、「あの一年間、二十二歳の私にしか出来なかったこと」を再チャレンジすることはできません(できたとしたら、単に自己暗示をかけているだけでしょう。自分はまだあの頃と変わっていないし、変わらなくてもいいのだと)。

長期に渡る旅を何度も繰り返せる人は稀で、大抵は一度大きな旅をすると、それが人生における最初で最後の旅になりますし、例え繰り返せたとしても、最初の旅の感動を超えることは難しいと思うのです。

大げさに言えば、ある時代の私にしか出来ない旅、人生で一度きりの大きな旅というものがあって、それを最も敏感に繊細に感じ取ることができるのは学生時代かもしれません。

だから私は、自分が中学高校の教師になった時に、「大学生になったら一人旅をしたらいい」と生徒に言うつもりです。

「べきだ」などと偉そうに言うのは好みじゃありませんから、その一言だけを告げようと思います。





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by white12211122 | 2014-12-15 02:36 | Comments(0)
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留学前から活用していたペンパル探しのサイトで、私はマーケットのシーズン前に、二人の同世代の女性と知り合った。

一人はドイツのテュービンゲン、二人目はウィーン。

どちらもクリスマスマーケットで訪ねる予定があったため、現地で会おうと言うと、泊まっていけばいい、と快く提案してくれた。

テュービンゲンでクリスマスマーケットを見て回った後、私は姉妹の家にお邪魔した。

素敵なお母さんと二匹の可愛い猫に迎えられて、手作り料理を堪能したばかりか、浴槽でゆっくりお湯につからせてもらった。

日本に数年滞在した時に、湯船が気に入って設置したのだという。

学生寮でシャワーを浴びるしかない日本人にとって、久しぶりの湯船は至福の一時だった。

ところで、中世の時代のドイツは非定住者への偏見や差別が他のヨーロッパ諸国に比べてきつかったのだが、異人歓待の文化もその頃からすでにあった。

食器を洗わせてほしいと申し出たが、立派な食洗機があったので、とりあえず食器運びだけはやらせてもらった。

すると、お母さんが感極まったように、

「まあ、貴女はなんて心優しいの!」

と、抱き締めてくれた。

こんなことでそこまで喜ばれるなら、これまでしてもらった親切に対して、一体どんな言葉で感謝の気持ちを伝えればいいのか。

くすぐったく思いながら、カルチャーショックを受けた瞬間でもあった。

後で調べてわかったことだが、客人は何もしないのが普通なのである。

やってしまったと思ったが、とにかく、ドイツ人はこちらが困ってしまうほどに優しい。

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夕食後、私たち三人はベッドの上でそれぞれクッションを抱いて寝転び、ノートパソコンでYotubeを見た。

日本のホラー映画を三人で見たらものすごく面白そうだ、と思いついて、『リング』はもう観たと言うし、『呪怨』を観るだけの勇気が私になかったため、一度観たことのある『ほの暗い水の底から』に決めた。

ジャパニーズホラーは怖いからなあ、と二人が驚くところを楽しみにしていたのだが、結局、飛び上がらんばかりに驚いて顔を伏せていたのは私のほうだった。

昔からホラー映画は何本も観ていたが、怖いもの見たさで見ているものだから、一向に慣れないのだ。

昔から追いかけられるのが大の苦手で、鬼ごっこですらぞっとするものがあり、ジュラシックパークの映画も、ドアに半分顔を隠した状態でしか観られないほどだった。

観終わった後、シシーが私に声をかけた。

「大丈夫?」

もちろん大丈夫、と笑ってみせたが、情けなくて、顔が引きつった。

その後、このまま寝ては後味が悪いと気づいて、なぜかスペインのホラー系ドッキリを視て大いに笑い、我が家のようにくつろいでいた私はベッドに入るなり深い眠りについた。

私はその前日にチューリヒ、その前々日にストラスブールへマーケットめぐりに出かけて風邪を引きかけていたので、かなり疲れていた。

その状態で、しかもかなりリラックスして眠っていたので、目が覚めた時、なぜか両手をあげて、文字通り大の字で眠っていた。

人の家でこんなによく眠れたのは初めてだった。

しかし、なぜこんな早朝に目が覚めてしまったのか。

窓の外はまだ暗かった。

ふと、私の手に何かが乗せられた。

ぎゃあと叫ぶ寸前で、私は声を抑えた。

見上げてみると、この家の猫が私の顔を覗き込んでいた。

にゃあ、と一声鳴いて、布団の中に入れてくれとばかりに、お行儀よく座って、私の返事を待っている。

可愛い訪問を嬉しく思ったが、私は寝相が悪いし、なによりアレルギー性鼻炎なので、猫の毛には弱い。

可哀想だが、しびれを切らせて入ってこようとする猫をやんわりと押しとどめると、猫は再び座り込んで、恨みがましい目で私を見つめた。

顔の横に座り込まれているので、そんなふうに見つめられては寝られない。

寝られないし、怖い。

布団を頭にかぶり、もう行ってしまっただろうと思って顔を出すと、まだ私のことを見つめていた。

もう一度布団をかぶって、そのまま眠りにつく。

それからどれくらい時間が経ったのかはわからないが、寝ている耳元でにゃあと鳴かれ、私は今度こそ悲鳴をあげたのだった。

そんな攻防を繰り広げた翌朝、私が歯を磨いていると、いつの間にか足下に猫が座っていた。

試しに移動してみると、ついてくる。

二階にあがってもついてくる。

歯を磨き終わって椅子に座ると、待っていたように膝の上に丸まって、そのままくつろぎ始めた。

一方、もう一匹の猫はまるで私に関心を示していない。

姉妹がキッチンで朝ごはんを作ってくれている音を聞きながら、私はこの執着はなんだろうかと考えていた。

ちなみにこの訪問の後、私はお礼を兼ねて、シシーにはクリスマスカードを、妹さんには日本のお土産と、お母さんには手袋を送った。

その日はテュービンゲンからそのままシュトゥットガルトのクリスマスマーケットに向かったのだが、中央駅で綺麗な紫色の手袋を見つけたものだから、お母さんが探していたのはこういう色合いの手袋だろうと確信して、購入しておいたものだった。

ペンパルの家に泊めてもらったこの記憶は、一時だけでも家族の中に仲間入りさせてもらったようで、かけがえのない思い出となったのだった。





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by white12211122 | 2014-12-14 23:11 | ドイツ留学の思い出 | Comments(0)