auf der Reise~旅の空~

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作家を目指す院生です。ドイツ留学時代の日記を中心に更新していましたが、院試(転科)→就活などのドタバタ挑戦ブログだったり、お出かけブログだったりと、割りと何でもアリで色々やっています。美術館めぐりも少々。テニスを辞めてジム通い始めました。就職決まったので次は修論です。

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三月の中旬に、フライブルク子どもの会が主催する東日本大震災のチャリティーイベント、通称「ジャパンデー」に、折り紙コーナーの販売員として参加することになった。

そういえば、ボランティアに参加するのは初めてのことだった。あの東日本大震災に関して、自分に出来ることがあるとは思っていなかった。震災のすぐ後、友人のために被災地までボランティアに向かった従兄弟を、心配しながらも眩しく思っていた。

ボランティア=被災地で活動するという認識だったのだが、そんな私にも機会が訪れた。しかも、ドイツという異国の地で。大したことをしたわけではなかったが、自分も「関わった」のだと思うと、不思議な充足感があった。

折り紙コーナーでは、日本語に興味があるというおばあさんに、短歌を見せられて、これをドイツ語訳にして欲しいと言われて訳した。その後も少し日本語を教えると、おばあさんは私に感謝の言葉を述べて去っていった。これも特別なことではないのだが、こういうイベントの場だと、日本文化の欠片を手渡したような気になって、少し誇らしい気分になる。異文化交流ってこういうことか、と。

他には武道や合唱、太鼓の演奏に、書道や指圧、けん玉などの体験や座談会などの催しもあった。

指圧にかなり惹かれたが、自分は日本に帰ってから出来るのだしと遠慮して、寿司の列に並んだ。こちらもずいぶん人が並んでいたが、フライブルくの日本食レストラン「椿」の大将が出張で握っていると聞いて、これだけは味わっておこうと思ったのだ。

その列に並んでいる間、私は来る四月初旬のB2試験の為に教材を読んでいた。そこに、二人の日本人女性が通りかかり、私の方を見ながら何か話し合っていた。質問でもあるんだろうか。なんとなく相手の気配を伺っていると、やはり話しかけてきた。

「大学で同じ講座、取っていませんでしたか?」

卒論の指導教授の名を出されて、面食らってまじまじと話しかけてきた女性を見つめた。

「ああ!」

私はかなり遅れて、驚きの声をあげた。彼女たちの顔は、確かに去年半期だけの授業で見かけていた。少人数クラスだったが、学年が違うので交流はなかったが、一人は関西弁を話すということで印象に残っていた。

彼女たちも留学中で、二人共別々の街にいるのだが、今日はフライブルクで彼女たちの知り合いが書道の公演を行うということで、半日だけ滞在することになったのだという。

小さな街のとあるイベントで、大学の知り合いと出会うことになるとは。私たちは俄然テンションがあがって、帰国したら是非お茶に行こう、と約束し、連絡先を交換しあった。

イベントが終わった後、私は少し興奮状態で、誰かと無性に話がしたくなった。

私が足を向けたのは、もはや常連となっているバーだった。夕方からアルコールというのも気が引けたが、開店直後で客は私一人だけだったから、いつものラドラー(りんごジュース割り)を頼んで、ママさんとカウンター越しに話をした。

「さっき、初めてボランティアに参加してきたよ」

その言葉から、震災、政治、そのほか色々なことを話した。個人的に人とこういう話をするのは、初めてだった。さほど高度な内容ではなかったが、ドイツ語で語り合ったということが重要だった。

話はライトなものに変わり、私は五月の初旬に計画している「一週間ドイツ一周の旅」を彼女に打ち明けた。既にルートは決めていた。フライブルクからミュンヘンに行き、一泊。バイロイトに行き、ドレスデンで一泊。ドレスデンからベルリンに行き、二泊。そのうちの一泊でブレーメンへ。ベルリンからヴュルツブルクへ行き、夜にフライブルクに戻ってくる。それを全て、バスを乗り継いで。

ドレスデンからポーランドのボレスワウィエツに立ち寄って、ポーランド食器を買おうと思っている。そう言うと、後から来たスキンヘッドの男性が「食器?」と聞き返した。

「陶器」という単語がわからず、別の単語を使っていたのだが、その男性が正しい単語を教えてくれた。やけに説明慣れしているな、と思ったら、なんとエアシュタイン語学学校の先生だった。

「彼よ、前に話していた、あなたの通う語学学校で教師をしてるって男性」

そこからまた話が弾み、一時間ほどバーに滞在して、私は試験勉強をするべく寮の部屋へと戻った。

勉強中にポルノグラフィティの「夜はお静かに」を聞きながら、しっとりとした夜を過ごす。勉強時間は少なかったが、大きな充足感に包まれていた。



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by white12211122 | 2015-04-23 14:50 | ドイツ留学の思い出 | Comments(0)

24回目の誕生日


4月22日は24歳の誕生日でした。

来年は25かと思うと、ちょっと実感が湧きません。20代半ばと言っても、既に社会人になっている友人達に比べると、まだまだ自立出来ていない子どもですからね。

ただ、顔つきが大人っぽくなったと言われたので、当たり前のことですが、自分の中でもゆっくり時間が流れているんだなあと、その時初めて実感しました。

去年の誕生日に、ドイツで大勢に祝ってもらったのが懐かしいです。今年は恋人と二人で、のんびりデートを。ドイツで大はしゃぎしていたことを考えると、あの時よりは確かに落ち着きました。留学は、私にとって必要な通過儀礼のようなものだったんでしょう。

一週間ほどブログに触れていませんでしたが、留学日記もそろそろ終わりが見えてきました。そこでふっと、もうここから先の出来事はよく覚えているのだし、更新する必要があるだろうかと考えて、書く気がなくなっていました。ゴールが近づくと、早く終わらせたくて雑になるのです。一端手を止めることでまた書こうという気になってきたので、更新を再開しました。

大学院の授業が始まり、日文科ではもちろん、他学科履修では余計に、「元独文」という異色の経歴が浮いて、最初は珍獣気分でしたが、二週目が終了してようやく落ち着きました。

既に岩手の遠野、新潟の佐渡島でのフィールドワークが決まっています。私の「学問」はなんて浅かったんだろうと自己嫌悪に陥りましたが、まだ始まったばかりです。教授に二度も「覚悟は出来ています」と力不足を承知で言い切ったので、根性だけは見せようと思います。

近況でした。



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by white12211122 | 2015-04-23 13:25 | Comments(0)

朗読講演会・舞台裏

先週の土曜日に、朗読の某講演会にお手伝いとして参加させてもらいました。

以前ブログに書いた例の講演会のことなのですが、チケットが確保出来なかったそうなので、受付のお手伝いをしながら聴かせて頂きました。

朗読会の大御所、私にとっては先生の先生が主催されている超有名講演会。全国から飛行機に乗ってやって来る人もいて、会場には四百人近い人が集まりました。

講演会の出演者の中には、「その時、歴史が動いた」の松平定知さんも!

リハーサル前に少し楽屋を出入りしたりもしたので、かなり貴重な体験となりました(ええ、結構ミーハーです)。

題材は太宰治や芥川龍之介、有島武郎など有名な作家の短編小説など。合計十二人の朗読を聴き、朗読法を極めるとこういう読み方が出来るのか、と圧倒されました。

朗読の授業を受け始めてまだ一年にもならない私には、二年やっている先輩すら遠くに感じるくらいですから、講演会の舞台に立たれている人は次元が違うように思いました。

朗読は一生真剣にやっていかなくちゃいけないものなんだとわかると、そこまで熱心に続けられるだろうか、続けたいと思うだろうか、と疑問が浮かびました。

「自主トレやらない?」と先輩に言われて、はいとは答えながらも、そこまで時間が割けないのが現状です。

うーん。こうなりたいけど、ここまで来るには時間と熱意が必要だしなあ。自分がこうなれるとも限らないし。

まあ今すぐにやめると表明する必要もないので、自分のペースで楽しんで続けていこうか、と保留にすることにしました。

ちなみに、この講演会の後、松平定知さんがファンの方々に囲まれていて、その写真係に私が指名されたので、ちゃっかりサインを頂きました。ミーハーすぎたかな、と照れながら振り返ると、一緒にお手伝いに来ていた院生二人もプログラムを抱えて並んでいたので笑いました。四人で写真も撮ってもらい、いい思い出になりました(素敵なお声だった・・・・・・)。




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by white12211122 | 2015-04-23 12:53 | Comments(0)
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橋を渡ると、山上のハイデルベルク城を目指して急な坂を登った。

西欧の人というのは皆健脚なのか、それとも私の知り合いがそうだというだけなのか、この日一緒にいたメンバーは皆体力があって、城までの急な坂道を、多少顔をしかめるだけですいすいと進んでいった。

部活を通して少しは体力がついたという自負が、頼りなくしぼんでいく。足が痛いというよりは、坂を進むストレスが息苦しくさせる。

時間をかけてようやく頂上に着き、眼下に広がる景色を見た途端、強い開放感に包まれた。

自分が歩いてきた街並みを見下ろすのは、ミニチュアを覗き込むような不思議な感覚をもたらすようだ。ついさっき自分が渡っていた橋の上には、確かに通行人の姿があるのだが、ここからは小さな黒い点のようにしか見えない。さっきまで、自分もそんな小さな点の一つだったのだと思うと、自分が街より大きくなったような錯覚に陥る。

可笑しな空想をするのが、昔から好きだった。

あの黒い点の中に自分の姿を見つけたとしたら、どんな気分になるだろう。あるいは、旅する自分の姿を客観的に見ることができたら。街ごとに置いてきた想いが一人歩きし始めて、本人すら知らないところでまだ旅を続けていたとしたら――と考えるのも面白い。

いつか書こうと思って書き溜めた構想のメモは、中学生の頃からずっと捨てずに置いてある。現実とファンタジーが織り交ぜられた一人旅。そんな話もいいかもしれない、と思った。

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ハイデルベルク城が初めて記録されたのは1225年。プファルツ継承戦争で一度破壊され、二度目はルイ14世によって壊された。

歴史の舞台になった時の「面影」は既に失われているが、時間は止まったままなのかもしれない。この城からはもう、後世の教科書に載りそうな、新しい歴史が生まれることはない。かつては歴史を積み重ねたものの、今はその過去を保存するための空間であって、未来には一切の歴史を紡ぎ出さない「閉ざされた空間」。歴史の舞台となった場所は、時間の止まった博物館のようだと思った。

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ゲーテがよく座ったという石造りの椅子に座り、記念撮影。その後、レストランで遅めの昼食を食べて、帰りの列車まで自由行動を取ることになった。

ハイデルベルクと言えば、「学生のキス」というチョコレートで有名なハイデルベルク最古のカフェ「クネーゼル」。十九世紀の時代に、規律厳しい学生たちは交際を許されていなかったため、その想いを代弁するために「学生のキス」という名前のチョコレートを作ったのだという。

この時、なぜかスイスのアネラという子と一緒に、このカフェに向かった。

彼女は私以上に団体行動に向いていないタイプだった。ストラスブールのクリスマスマーケットの時には彼女が何も言わずに消えたため、マイナス七度の寒空の中でずいぶん待たされるはめになり、正直に言って、彼女に対していい印象は持っていなかった。

それが、「のんびり屋で、おおらかなのが長所にも短所にもなる、心優しい人」という認識に変わったのは、おそらくこの時だったかもしれない。

時間がないので、カフェまでは迷いながらかなり走った。

「Yはどこに行くの」と聞かれて、「あるカフェに行きたい」と答えると、なぜか一緒について行くと言ったアネラ。カフェに行ってお目当てのチョコレートを買ったけれど、アネラは特に興味を持った様子もなく、何も買わなかった。

どうして一緒に来たのか聞いてみると、「一人で行くのは寂しいでしょ?」と返された。要するに、私に付き合ってくれたらしい。予想外の相手からの、予想外の優しさというのは一種の威力がある。私は少なからず自分の狭量を恥じて、それ以降、私たちは試験でタッグを組むなど、それなりに良好な関係を築いていったのだった。

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by white12211122 | 2015-04-23 02:27 | ドイツ留学の思い出 | Comments(0)
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語学学校では、担任のクリスティアーネが色々と企画してくれるので、ボーリングに行ったり、近くの町を散策したりと、クラスのメンバーで遊ぶことが多くなった。

一番楽しかったのは、彼女の出身であるハイデルベルクへ遠足に行った時のことだ。一度は頓挫したのだが、「うう・・・・・・ハイデルベルク」と露骨に落ち込んだ私をクラスメイトが慰めてくれたこともあり、予定していた次の週に実現することとなった。

留学前は友人たちに「ミステリアスな大人の女になって帰ってくる」と豪語していたのに、南ドイツの陽気な雰囲気と自由に感化されて、前よりもさらに子どもっぽくなっていた。

「よかったね、Y」と真剣に励ましてくれるものだから、自分に苦笑しつつも、素直に頷いた。

途中、乗り換えの際に時間があったので、カールスルーエを少しだけ散策した。ここの動物園はいいよ、とクリスティアーネが教えてくれたのだが、その時は時間がなかったので、その前で記念撮影だけをした。

駅の売店でストロベリー味のタバコを見つけたので、タバコ好きの友人のために、試しに一箱買うと、クラスメイトの一人、チュニジアのアイメンが「Y,一本くれ!」と要求してきた。

「ダメダメ、これは友達にあげるものだから」

「一本だけ!」

かなりしつこく食い下がってきたので、どこかで同じ気分になったような・・・・・・と考えて、思い出した。「となりのトトロ」で、めいちゃんがヤギにトウモロコシを取られそうになったシーンを見た時と、同じような気分だった。

「いやいや、プレゼントなんだから、箱をあけたらだめでしょ」

「だめなのか?」

「うーん、まあ日本ではね」

「ここはドイツだ!」

と、アイメンが勝ち誇ったように言うので、こちらもニヤリと笑って、

「送るのは日本だよ」

と言った。アイメンはなるほど、と納得し、笑って諦めてくれた。友人同士でなら、こういうやり取りもじゃれあいのうちで、楽しい。


ハイデルベルクには昼前に着いた。ハイデルベルクの観光名所は、ほぼ旧市街に集まっている。中央広場には市庁舎と精霊教会という大きな教会がある。真ん中には、ヘラクレスの像と井戸。精霊教会の向かいには、「騎士の家」というハイデルベルクで一番古い建物もある。

教会の前には色とりどりのパラソルが。主にお土産を売っていたが、特定の曜日には朝市が並ぶという。


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クリスティアーネがここの大学の卒業生だというので、彼女の案内で図書館に入った。

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カールス門をくぐり抜けて、カール・テオドール橋というアーチ型の橋を渡る。同じ学生街であるフライブルクにないもの、それは大きな橋だ。こんなふうに街が分断されていない。同級生がここハイデルベルクに私より一年先に留学していたため、ふとここに住む自分を想像してみた。こんなに大きな橋のある生活とは、どんなものだろう――。湖とは違う、水辺の光景。暖かければ、橋にもたれて本を読むのもいいかもしれない。

私は最初からフライブルクしか見ていなかった。他の街は最初から選択肢になかったし、思いつきもしなかった。直感でフライブルクだと感じたのだ。他の街を調べもせずに。フライブルクの説明を聞いただけで、びびっときてしまったのだ。

戯れのような「もしも」を想像して、いつものことだが、自分の決断の仕方が可笑しくなった。自分にとっての正解だと、信じて疑わないのだから。


(2)に続く



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by white12211122 | 2015-04-13 12:00 | ドイツ留学の思い出 | Comments(0)


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今度、大学の講義で国木田独歩の『武蔵野』を扱うので、喫茶店で読んでいたところ、「桜橋」というのが出てきました。中央線の武蔵境駅にあるという、小さな橋。そう遠くないし、ついでに太宰治が愛したという三鷹の鉄橋も見よう、ということで、今日は文学散歩とシャレこむことにしました。

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太宰治が愛した鉄橋。小さい頃、母とここに来たのがなぜか印象的で、そのまま私の心象風景の一つとなったのですが、つい最近までここに来ようとは思いませんでした。

ほぼ二十年ぶりに訪れたわけですが、背が伸びたぶん、景色も違って見えました。親子連れに写真を撮っている人、本好きそうな人・・・・・・。

空がよく見えるし、普段せわしなく乗っている電車を見下ろすのが、気持ちいい。大勢の人があの箱に乗って、運ばれていく。それを上から見ると、少しの間だけ、自分が日常と違う、別の場所に立っているような気分になれて、心に余裕が生まれるようです。鉄橋のそばを歩いている人も、のんびりと散歩を楽しんでいる風でした。

三鷹を一人で散策すると、ゆるやかに時間が止まっているように感じます。生活音はするのに、無音の空間を歩いているような気になります。過去の記憶を追体験しているような、どこか浮世離れした雰囲気。文豪が三鷹を愛したのが、わかるような気がします。自分の思索に、どっぷりと浸れます。

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中央駅の改札に来れば、いつもの日常生活がわっと駆け足で戻ってきます。そのギャップに少し驚いて、考え事を一時中断。

隣駅の武蔵境で降りて、北口を出て、駅前のスキップ商店街を抜けて、独歩通りを歩き、今度は国木田独歩の『武蔵野』に書かれた桜橋へ――。

桜吹雪の中、少しだけベンチに座って、読みかけの『武蔵野』を読みました。

『今より三年前の夏のことであった。自分は或友と市中の寓居を出てて三崎町の停車場から境まで乗り、其処で下りて北へ真直に四五丁ゆくと桜橋という小さな橋がある、それを渡ると一軒の掛茶屋がある・・・・・・』

独歩が友人と歩いたのは初夏。この近辺に住んでいる人を幸せだと思い、そんな場所を散策している自分たちのことも、幸せだと思う――。

今は彼が見た景色とはずいぶん変わってしまったのだろうけれど、『武蔵野』の中で独歩がツルゲーネフのロシアの自然描写に親近感を抱いたように、私もまたドイツの自然を思い出したのでした。

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by white12211122 | 2015-04-12 02:18 | お出かけ | Comments(0)

浜離宮でお花見

お気に入りの桜ショット&春のお出かけショット!


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木曜日の午前中、バイト前に浜離宮恩賜庭園でお花見をしてきました。一緒に行ったのは、大学の学部時代の同級生。「カフェ会」といって、毎月一回、その月のイベント(クリスマス&忘年会、バイレンタイン女子会、お花見など)をテーマに三人で集まっています(学部時代に親しかったというよりは、卒業してしまうとだんだん疎遠になってしまうのが虚しいよね、ということで発足した会です)。

こちらはソメイヨシノや八重桜がちょうど見頃でした。

浜離宮はビルに囲まれた、まさに都会のオアシス。青空とビル、桜のコントラストが絶妙でした。


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浜離宮の中にある「中島のお茶屋」で今月の上生菓子とお茶をいただきました。ちょうど三種類あったので、三人でコンプリート。ほのかな甘味のある上品なお茶菓子でした。

写真に撮って、満足。ガラス戸からは池と桜が見えるので、ゆっくりお茶を楽しんでいると、ふと横から視線を感じました。

ちらっと顔を向けると、ガラス戸が少し開いていました。その隙間から、外国人観光客の男性が、私たちの食べている茶菓子を写真に撮っていました。男性は目が合うと、にこっと笑ってから、顔をひっこめてガラス戸を閉めました。

あ、どうも。

こちらも会釈して、黙々と食べていましたが、後からじわじわきました。シュールすぎる。戸を開けて身を乗り出して、人の食べかけを撮るなんて、おかしすぎる。

自然に流しかけましたが、後から笑いがこみあげて、三人でひとしきり笑わせてもらいました。しかも、その後、また視線を感じてみると、彼とその仲間たちがガラス戸に張り付いていたので、お茶を吹き出しかけました。今度はガラス戸を開けることも、カメラを構えることもありませんでしたが、むしろこのシュールな光景を写真に撮りたいくらいでした。本当に、陽気な行動が面白いんだよね、と親しみすらわくほど。

浜離宮を後にして、築地でマグロ丼を食べて帰りましたが、その間も何度か思い出し笑いをさせてもらいました。

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by white12211122 | 2015-04-12 00:55 | カフェ会 | Comments(0)

六義園の夜桜

お気に入りの桜ショット&春のお出かけショット!

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六義園の夜桜ライトアップに間に合ったので、日曜の夜に行ってきました。

今年の桜もいつの間にか散っていて、悠長に構えていたのを後悔した時にはもう遅く・・・・・・花の風、花散らしの風によって葉桜になっていましたが、これはこれで情緒がありました。

残花、名残の花。桜にまつわる言葉は、調べてみると意外に多いので、文章中に盛り込んで今年の桜を惜しむことにします。

ライトアップのおかげで、葉桜でも暗闇の中でぼんやりと白く輝いていました。近づいてみると、花明かりが朝靄のように見えて、白夜を見た時のような不思議な気分になりました。

桜の別名の一つに、夢見草という呼び名があります。

色んな花がありますが、夜に異彩な魅力で人を惹きつける花というのは、桜だけかもしれません。人によっては、夏の夜、夜だけに咲くカラスウリの花もあるじゃないかと思うでしょうが、夏の夜は長いですから。短い季節の、短い時間を惜しむところに日本人の感性が表れているのだとしたら、日本人にとって特別なのは、やはり桜だな、と改めて思いました。桜が一番輝くのも、夜かもしれません。
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by white12211122 | 2015-04-11 23:58 | お出かけ | Comments(0)
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ファスナハトを楽しみながらも、基本的にはB2試験の勉強のため、部屋に篭もりきりの生活が続いていた。

運動不足はよくないと、大学受験で嫌というほどわかっていたため、週2~3回は近所の湖をランニングしていたのだが、それでも足りなかった。足よりも体全体を動かしたい。

そこで、思い切ってフライブルク市内にある「easy sport」という中央駅のすぐ隣にあるスポーツジムに行って、体験の申し込みをした。

最初にインストラクターの男性が基礎体力を測りながら、器具の説明をしてくれる。久しぶりに筋肉を使ったので、かなり苦しかった。特に、腹筋。大学三年生の時にはあともう少しで割れるんじゃないかというところまで鍛えていた腹筋は、運動不足にドイツビールという最悪の組み合わせで、跡形もなく脂肪へと変わっていた。

インストラクターのかっこいい筋肉質のお兄さんが、私の呻き声を聞いて笑っている。

「もう少し!」「後ちょっと!」と声をかけられながら、なんとかなけなしの腹筋を酷使する。ただし、何故か脇腹の筋力だけは衰えていなかったようで、トレーニングベンチに横になり、足をクロスして器具に絡ませ、その状態で腹筋のように上下に体を起こす、というのは簡単に出来た。そこで始めて、「君は何かスポーツでもやっていたのか?」と聞かれ、複雑な気分になった。別に脇腹を酷使した記憶はなかったからだ。

一通り器具を教えてもらった後、お兄さんが「この後時間あるなら、プログラムにも参加していくといいよ」と言ってくれたので、ドイツ発祥のピラティスと、腹筋エクササイズに参加していくことにした。

先生は痩せたおじいさんだった。しかし、参加者は二十代前半から三十代。足やくびれでは負けないだろうと思っていたのだが、そもそも腰の位置が違う上に、抜群のプロポーションぞろいで、「必要ないじゃん!」と心の中で叫んでいた。

加えて、アジア人は私一人。少し身構えたが、わざわざダンベルを取って渡してくれたり、にっこり笑いかけてくれたりと、綺麗なお姉さんたちに優しくしてもらった。

痩せたおじいさん先生は、五時間以上、連続ですべてのプログラムを一人でこなしているのだった。無表情のままディスコのDJのようにハイテンションな音楽をかけ、「ふぉー!」とノリノリの声をあげて、軽快なステップを踏み出した。

二つ連続で参加した私は、最後の腹筋特化コースで倒れそうになった。最後は腕立ての状態でエクササイズ用のボール(背が届かなかったので、これも取ってもらった)の上に片足を乗せて交互に足を入れ替えながら跳ねる、という曲芸寸前の動きを指示され、ボロボロになった。

ただ、嫌な疲労ではなかった。心地良い倦怠感に、久しぶりに体を鍛えたという充足感。毎日トレーニングするほどマメな性格ではないため、こういう教室があるのはとても助かる。

もう少し早くからここに来れば良かったな、と思いつつ、プロテインを飲んで寮に帰った。




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by white12211122 | 2015-04-05 01:30 | ドイツ留学の思い出 | Comments(0)
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ルツェルンの次は、同じくスイスのバーゼルだった。スイス最大のカーニバルと言われている、バーゼル・ファスナハト。灰の水曜日の翌週の月曜日からの三日間を「一年で最高の三日間」と呼んでいる。

月曜日の明け方四時に、モルゲンシュトライヒと言って、暗闇の中でパレードを始める。それが、このカーニバルの幕開けの合図だ。闇の中に灯篭が浮かび、楽隊が市内を練り歩く。

語学学校のイベントとして、この明け方からのモルゲンシュトライヒに参加しよう、という企画があったのだが、さすがにオールはきつい。寒いし、待ち時間も長い。しかも、昼のパレードを待たずして帰るという。

私はこのイベントには参加せず、久しぶりにMと一緒にこのカーニバルを見に行くことにした。この頃、Mとはあまり会うことが出来なかった、と記憶している。ちょうど音大の受験シーズンで、彼女のほうが忙しくしていたからだ。精神的にもかなりきつかっただろう。音楽知識ゼロの私には、気分転換の誘いをするくらいしか思いつかなかった。

スイスに行った、と言うと友人に驚かれたが、フライブルクからバーセルまでは電車で一本、四十分かかるかどうかの距離で、わかりやすく言えば、大阪から京都へ行くようなものだった。

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(金、銀、銅のバッジが売っていたので、一番安かった銅を6ユーロ、900円程で購入した)

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(駅のすぐそばでブラスバンドが演奏をしていて、テーブルには「皆食べていってオッケーだよ」と、食事が並んでいた。試しにミートボールを食べてみたが、止められるどころかワインまでくれた)

ファスナハトと言えばバーゼルだと言われるように、ヴァルドキルヒの小さな祭りとは比較にならない規模、観光客の数だった。ここの祭りのパレードでは「さすがスイス。太っ腹だなあ」と感心する、あることが行われるのだ。

パレードが何列にもわたって、大通りを闊歩する。この仮装は毎年時事問題をテーマにしているらしく、その意味がわかると、非常に面白い。小さな子どもたちから大人まで、多くの人が音楽を奏で――観客に向かって、様々な物を投げていた。果物、お菓子、玩具、花――。そう、まるで叩き売りのように放り投げられる物を、観客たちがキャッチしたり、地面に落ちたものを拾ったりする。

トラックが一番いい。トラックに乗った道化師たちが一番多くものを投げてくれるからだ。傍観者のように書いている私も、二時間ほどこのパレードを見つつ、普段はない運動神経を発揮して、大量の飴をキャッチした。もちろん、赤ずきんの仮装で、だ。

ちょうだい、と手を伸ばしてアピールすることもある。そうすると、投げられないハチミツの瓶を優しく手渡してくれたり、欲張りをからかって大量の紙吹雪を頭の上からかけたりされる(この紙吹雪というのが曲者で、服のなかに入ったり、カバンの隙間から入ったりして、帰宅してからも大変だった)。Mは頭から大量にかけられてしまい、隣にいた私も余波を食らった。これが曲者で、服の中、鞄の奥まで入り込んでしまうので、学生寮の部屋まで持ち帰ってしまい、その後しばらく片付けに手間取った。

一番気に入った贈り物は、犬のぬいぐるみとミモザの花だった。カバンいっぱいのプレゼントをもらった私と友人は、ベンチに座って戦利品を見せ合いっこしたり、もらった果物を食べたりして休憩した。四月にあるイースターに向けたカラフルな卵もあったが、そちらは食欲がわかなかったので、食べなかった。



それから再び市内散策をしていると、仮装した少年たちに声をかけられた。なにを言っているのか、ほとんど聞き取れなかった。

スイスはフランス語話者・イタリア語話者・ドイツ語話者に分かれるのだが、スイス・ドイツ語といえば、ドイツ語既習者泣かせで有名なほど、なまりが強いのだ。なまりというか、言葉が変形しているため、聞き取れたとしてもわからない。その十歳になるかならないかの小さな少年は、頬を指差した。

どうやら、頬にキスをしてほしい、という意味らしい。ヨーロッパの挨拶代わりのキスは、本当に頬に唇を押しつけるわけではなく、軽くお互いの頬と頬をくっつけて、口でリップ音を出すだけだ。私もそうしてあげると、少年は嬉しそうに、「よし、これで四人目だ」と言って笑った。女性が通りかかるたびに、キスをねだっていたらしい。なんとも末恐ろしい少年だった。

この日の夜は、フライブルク大学に三週間だけ研修に来ているという日本人大学生の団体さんとの親睦会に呼ばれていたので、夕方には、夜にむけてさらに盛り上がっているバーゼルを後にした。

その電車のなかで、向かい側に座ったおばあさんと、なにがきっかけだったかは忘れたが、会話が始まった。派手な赤ずきんの服がきっかけだったかもしれないし、そうでなければ、袋に入った大量の花だったかもしれない。会話のきっかけは、どこにでも転がっている。

「バーゼルのファスナハトに行ってきたのね?」

おばあさんは持っていた新聞紙をめくって、ちょうどファスナハトについて書かれた記事を見せてくれた。

「そうだ、この新聞、あなたにあげるわ」

おばあさんがくれると言うので、ありがたく頂いておいた。なにかお返しにあげるものはないか。私は新聞をもらう代わりに、大量にもらったミモザの花をおすそわけした。

とっても素敵。本当にありがとう。

おばあさんの嬉しそうな笑顔に、こちらも穏やかな気分になる。数駅間だけの会話のあと、おばあさんが先に降りていった。良い夜を。そんな別れ際の挨拶はお決まりの定型文であるはずなのに、心がこもっているからだろうか。互いが「このあとも良い時間を過ごせますように」と相手のために祈る気持ちが、すとん、と素直に心に響くのだった。

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by white12211122 | 2015-04-04 20:33 | ドイツ留学の思い出 | Comments(0)