auf der Reise~旅の空~

white12211.exblog.jp

作家を目指す院生です。ドイツ留学時代の日記を中心に更新していましたが、院試(転科)→就活などのドタバタ挑戦ブログだったり、お出かけブログだったりと、割りと何でもアリで色々やっています。美術館めぐりも少々。テニスを辞めてジム通い始めました。就職決まったので次は修論です。

ブログトップ

<   2015年 07月 ( 27 )   > この月の画像一覧

故郷の夏空、夕暮れの色

2015年夏!私の花火写真&お気に入りの夏ショット!

c0330562_17134545.jpg


ずっと帰りたいと思い続けていた故郷に再び住み初めて、早くも五年の月日が流れました。

家の隣にあった畑はマンションに変わってしまいましたが、未だに緑豊かな文学の町であり続けてくれています。

大通りもずいぶん変わりましたが、こちらはいい意味のほうで、オシャレなカフェや珈琲・紅茶、和菓子やシフォンケーキなど、味のある専門店が増えました。

その一つ隣、大通りと水平に並ぶ長い一本道には、まだしぶとく残っている畑が両側に広がっていて、この青空と畑の広がる景色こそ、長年思い返しては懐かしく思っていた、私の心象風景に限りなく近いものなのです。

その裏道を自転車で走る爽快感。毎日通る場所なので、時々思い出したように、自分は故郷にいるのだと実感します。

ある日の夕方、ふと見上げると、空が真っ赤に燃えていました。思わず携帯で写真を撮りましたが、駅前の広場に行くと、同じように携帯を構えている人が三人ほどいました。

声をかけることはしませんが、どんな想いをもって空を写していたのか、とても気になります。

私はーー故郷の空が見せた珍しい色を、記憶に残しておきたいと思ったのです。故郷の空って、やっぱり特別なものじゃありませんか?

c0330562_17133698.jpg

[PR]
by white12211122 | 2015-07-31 22:00 | Comments(0)
大学院生のバイトについて。

バイトをしている院生はあまりいません。緩い学生生活の延長と思われがちですが(所謂モラトリアム)、学部時代の卒論がオママゴトのように思える程度には高いレベルの研究が求められるので、発表前は明け方まで眠れないこともあります。もちろん、社会人に比べれば楽でしょうが、院には院の苦労があります。

そんなわけで、さらに進学して、これからも研究一筋でやっていくんだ、という猛者は、やったとしても短期バイトとか、大学の書庫整理・チューターの仕事をやっています。

文学部の院生は教員志望が多めなので、塾講はわりとメジャーなバイトです。かく言う私も、週ニで受験クラスの国語を担当しています。

週ニならそこまで大変ではないのですが、授業以外の雑務からは逃げられませんし、夏休みや春休みは結構きついです。

朝八時から夜七時まで、集団授業が180分、170分、個別指導が80分。

この記事を書いている今日は、その前半の四日間が終わり、一日中ベッドの上でゴロゴロしていました。

社会人にとっては普通のことですが、最初の二日間はかなりきつくて、こんなことで再来年就職できるのか……と呆れ半分、不安半分でしたが、よく考えてみれば中高って50分授業が最大でも五、六コマなので、一コマ180分に比べたら楽かも……と、考えたりもして、色々とイメトレ中です。まあ人間って慣れる生き物ですが。ピーターパン症候群にはならないように……。

一日目・二日目はバイトが終わってすぐに外食やビアガーデンに参加し、四日目は20:00-21:20まで週一のテニスがあったりして、結構無茶をしていました。昼休みの50分はカフェで古文の勉強をしていたので、休憩時間はなかったかも……。

明日からまた四日間頑張ります。この四日間は夕方四時までなので、夜の八時まで、地元の図書館で江戸の随筆を読み漁るつもりです。103冊中、二日で20冊流し読みしたところですが、ゆったりと長時間取れないので、長い戦いになりそうです。

八月は大阪(一週間帰省)→鹿児島(武家だった先祖の墓参り)→岩手(フィールドワーク)→石川(旅行)と日本中を飛び回る予定です。その合間にレポートやら小説やらが盛りだくさんでして、八月、九月末に小説賞が二つ。レポート二つに研究発表が二つ。

ゆっくり休める日がない、いつも通りの長期休暇になりそうな予感がします。

以上、メモでした。

(小学生が歌いまくるので、ずっと頭にこびりついて離れません…「本能寺の変」 踊る授業シリーズ)。
[PR]
by white12211122 | 2015-07-30 01:11 | 近況 | Comments(0)
2015年夏!私の花火写真&お気に入りの夏ショット!

c0330562_23435135.jpg


通称「カフェ会」なるものを、大学時代の学科の友人たちと結成してから、早半年。なんとか三人の予定を合わせて、クリスマス会・バレンタイン会・お花見・サイクリングと、色々なことを面白おかしくやってきましたが、今月も無事開催できました。

最近ではカフェめぐりと言うよりは、女子っぽいこと、季節の風物詩を楽しむ会になっていて(私のいい加減な思いつきに付き合ってもらう感じで)、今回は「夏っぽいことがしたい!」ということでビアガーデンに行ってきました。

c0330562_23440786.jpg
c0330562_23442166.jpg


アジアンチックな屋台に、世界のビール。パナシェ(ドイツでいうラドラー)のジョッキで乾杯しました。コース料理を味わいつつ、周りの歓声と熱気に負けないように、声を張り上げながらお互いの近況報告を。

ヒートアップ系、まったり系、クール系の三人は進路もバラバラで、卒業した後に仲を深めた三人ですが、末長くお付きあいいただきたいものです。

夏の夜に乾杯!


[PR]
by white12211122 | 2015-07-27 00:04 | カフェ会 | Comments(0)
No Museum, No Life?―これからの美術館事典

c0330562_16281708.jpg


江戸東京たてもの園を後にして、お次は竹橋にある東京国立近代美術館に行って来ました。

美術館自体の展示会ということで、一体どんな展示の仕方をしているのか、興味津々。しかも、「これからの~」という題からして、何か革新的な方法論を提示してくれるのではないか……と期待が高まります。

予想していたのとは違った雰囲気でしたが、展示は確かに従来にない斬新なやり方でした。

まず、ビデオがいくつかの箇所で再生されていたので、美術館に「音」が響いていました。最近は風景学の一環で「サウンドスケープ(音の風景)」というものを取り入れている所があると聞いたのを思い出しました。今回の展示会での「音」は風景とは結び付くものではありませんでしたが、音のある美術館ってあんまりないと思うんですよね。

それから、フラッシュ・動画禁止で写真を撮ってもいいということで、これは海外ではわりと普通のことですが、日本の美術館では珍しいなと思いました。オブジェを見ていると、少しトリックアート展に似ているような気もします。

この展示会は美術館に関する素朴な疑問、興味を引き出すことを目的としているようで、事典のようにABC順で項目ごとに分かれていました。

普段美術館に興味を持たない人向けといった感じなので、ちょっと物足りなかったのですが(例えばAはアーティスト=制作者、といった簡単な説明なので、結局新しい視点というほどではありませんでした。その意味では、良くも悪くも事典だなと)、写真が撮れたので楽しめました。美術館というと、どうしても高等な趣味といった堅苦しさがあるので、もっとオープンに遊び心を付け加えてみるのもいいかもしれません。

今回は五つの国立美術館(東京国立近代美術館、京都国立近代美術館、国立西洋美術館、国立国際美術館、国立新美術館)が合同で開催し、150の作品を展示し、加えて常設展にも無料で入れたので、本当に色々観ることができました。

以下、写真です。

c0330562_16283392.jpg


c0330562_16284819.jpg
c0330562_16290516.jpg
c0330562_16292697.jpg
c0330562_16294125.jpg
c0330562_16300279.jpg
c0330562_16295163.jpg
c0330562_16301732.jpg

[PR]
by white12211122 | 2015-07-24 22:27 | 美術館巡り | Comments(0)
c0330562_14195241.jpg


先週の土曜日、バイト終わりに美術館巡りをしてきました。今年の夏は気になる展覧会があちこちで開催されるので、暇を見つけては足を伸ばしていくつもりです。

その第一弾が、七月二十日まで江戸東京たてもの園で開催していた「モダン都市の文学史~描かれた浅草・銀座・新宿・武蔵野~」。ちょうど大学のゼミで国木田独歩の『武蔵野』を扱っているところなので、楽しみながら勉強できました。学生証を見せると無料なので、お得感も。

浅草は川端康成の『浅草紅団』から、銀座は永井荷風の『つゆのあとさき』新宿は龍膽寺雄の『新宿スケッチ』、武蔵野は横光利一の『春園』。

龍膽寺だけは初めて知りました。調べてみたところ、茨城出身の作家、サボテン研究家。サボテンとはまた面白い。反プロレタリア文学という立場で、新興芸術家倶楽部を結成。モダン都市文学といえば新興芸術家倶楽部、といった文句がパネルに書かれていたので、ようやく「ふーん、そうなのか」と納得。機会があれば作品も読んでみたいものです。

一番気に入ったのが永井荷風でした。当時の銀座の情景ーー街並みの細かい描写に、カフェ事情。荷風の日記『断腸亭日乗』は、風俗資料としても価値があります。展示には荷風の銀座地図というものがあり、カフェ・タイガーから日比谷公園まで、二十三ヶ所が示されていました。

武蔵野のパネルには、阿佐ヶ谷で暮らしていた横光利一が、『春の園』で近くの杉の森や畑の情景を描写したとありました。

なんとなく、他の三つの場所と比べて、武蔵野にはさほど力を入れなかったと見えます。資料が少なかったのであまり印象には残らなかったのですが、独歩の『武蔵野』以外の作品から武蔵野の地について学ぶ、いい機会となりました。

建物を出ると、まだ昼の一時でした。料理教室の時間までまだ余裕があったので、竹橋の東京国立近代美術館に行くことにしました。

続く。
[PR]
by white12211122 | 2015-07-24 07:00 | お出かけ | Comments(0)
この記事はブログのファンのみ閲覧できます

[PR]
by white12211122 | 2015-07-23 19:25 | ドイツ留学の思い出

ドイツ留学日記 完結

去年の9月から書き続けた「ドイツ留学日記」がとうとう完結しました。

2013年の9月から2014年の5月まで、ドイツのフライブルクに語学留学していた頃の記憶・日記・手帳・写真をもとに書いた、約8ヶ月間の記録です。

書き始めた当初は果てしない作業のように思いましたが、結局は一年以内に完成させることができました。感無量。もう一度留学を体験したようで、二度目の終わりを迎えたいま、少し感傷的になっています。記事総数は140以上。はじめはエッセイ風の書き方がわからず、短めでしたが、慣れるにつれてどんどん長い文章になっていきました。

本編?はこれで終了ですが、「留学こぼれ話(単なる書き忘れや、記事にするには写真もなく、短すぎたコラム)」・「あえて載せなかった留学の仄暗い話」・「ドイツの文化紹介(カフェ・お菓子・パン・お土産等)」はこれからもちょくちょく載せていこうと思います。

この後に更新する「ドイツ留学日記の裏側 書かなかったこと」は私のごく個人的な葛藤を書いているので、ファン登録された方限定公開とさせていただきます。限定公開はこの記事のみになります。

さすがにこのドイツ留学日記を全て読んだという方はいらっしゃらないと思いますが、お付き合いくださりありがとうございました。

(パソコンでの訪問者数が1900人を超えて、2000に近づいたので驚きながらも喜んでいます)



[PR]
by white12211122 | 2015-07-23 19:24 | ドイツ留学の思い出 | Comments(0)
c0330562_07101016.jpg
とうとう、二〇一四年五月十二日の朝ーー日本への帰国の日がやってきた。

大きな黒のリュックに、赤いボストンバック、それからまた赤いノートパソコンの鞄に、海外旅行用の大きなトランクーーリュックにはポーランド食器やクリスマスマーケットのマグカップが詰まっていたーーという、大量の荷物を抱えて、私はフライブルク中央駅からフランクフルトへ向かおうとしていた。

朝早くにもかかわらず、オルガン奏者のTさんは寮から駅まで荷物運びを手伝ってくれた。中央駅には他に日本人の友人二人、姉さんとSさんが見送りに来てくれた。

十二月の年末には、寮の玄関で沖縄から来たNを(あの日は雨が降っていた)、四月には私にとって最も関わりの深かったMをそれぞれ見送り、故郷に帰るのだという語学学校の友人たちと幾度も別れの握手を交わし、去っていく背中を見ていたのが、とうとう見送られる側になったのだ。

これでもう、置いていかれることはない。そう思えば、少しは気が紛れた。置いていかれるほうが、別れの後にしんみりと寂寥感が胸に残ってしまう。

とうとうバスの出発時刻になり、私は友人たちの姿が見えなくなるまで、窓から手を振り続けた。彼らの姿が見えなくなった途端、自分は一人に戻ったんだと感じた。ドイツに来たとき、そうであったように。何も持たない、何にも属さない、真っ白な自分に戻ったのだ。

結局、お別れ会の時も、この別れの瞬間にも、私が泣くことはなかった。一番親しくなったチロは、別れ際、目に涙を溜めていたが、私は目が潤むこともなかった。人前で涙を見せるくらいなら死んだほうがましだ、と頑なに思い続けていた時期を経て、いつの間にか目が乾いてしまったらしい。それでも、何も感じていないわけではない。むしろ、涙として発散しないぶん、いつまでも心に留まり続けるのかもしれない。

ドイツ留学は私にとって人生の夏休みであり、毒抜きであった。この「楽園」での記憶が、いつか私の青年時代の心象風景となって、甘くて淡い寂寥を引き起こす思い出になるのだろうと、早くも考えていた。

初めてドイツにやって来た日の大雨とは真逆に、この日の空は真っ白な雲を少し浮かべて、陽の光に輝いていた。ドナウ川のほとりで生まれた花の伝説を思い出させる、勿忘草色の空だった。

こんなふうに、「八ヶ月も過ごしたフライブルクを去ってしまうのだ」とセンチメンタルに浸っていたせいで、留学最後にして最大のハプニングの時が刻一刻と近づいていた。

バスを下りて空港のエスカレーターに乗っていた時、私はふと、荷物が軽いことに気がついた。実際には軽いどころではなく、ボストンバックとトランクをバスの荷台に置きっぱなしにしていたのだ。

すでにバスを降りてから、十分ほど経っていた。ざっと血の気がひき、甘いセンチメンタルは吹き飛んで凍りついた。私は重たいリュックとノートパソコンの鞄を持って、後ろに誰もいなかったため、エスカレーターを逆走し、空港を全速力で走り抜けた。

場所が空港だったため、私が外に飛び出した時、幸運にも私の乗っていたバスはまだ出発していなかった。そこで安堵しかけたのだがーー私が追いつく前に扉が閉まり、私の見ている前で、バスが発車した。

その時の私は本当に死に物狂いだった。ポーランドの片田舎で列車を追いかけた時の何十倍も本気だった。私は発車したばかりでまだ本来のスピードが出ていないバスを追いかけて、車体と並んで走った。手を振ったが、気づいてもらえない。私は持っていたペットボトルで扉を叩き、「開けてください!」と叫んだ。

そこでようやくバスが止まり、私は何度も土下座する勢いで謝り続け、車掌さんは「間に合ってよかったね」と笑いながら荷物を渡してくれたのだった。

その時点で気力が尽き果てており、日本には帰れないのではないかと思い始めていた。未遂で済んだものの、「もしも」を考えると、それから一時間以上は心臓が悲鳴をあげて、落ち着かなかった。震える手で荷物を抱え直し、あまりの重さにエスカレーターからひっくり返りそうになりながら、なんとか空港で荷物を預けた。

空港に着いたのは昼前だった。私の乗る便は、夕方の六時。ここで終わりではなく、私は四月に音大の院に受かってダルムシュタットへと旅立ったMと、フランクフルト市内で最後にもう一度だけ会う約束をしていた。

久しぶりに会うMは、住居探しで困っていたものの、同じ日本人の好意に助けられて、なんとか無事にやっていけているようだった。私は出来立てほやほやのえげつないハプニング話をMにして、ようやく人心地がついた。

二人で適当なカフェに入り、フライブルクでの思い出話にふけりながら、最後にカフェで写真を撮って別れた。Mからもらったプレゼントの一つに、ドイツの国旗模様のバインダーがあり、その後無事に飛行機の席に腰を下ろした私は、思いつくままそのバインダーのルーズリーフに今の気持ちを書き綴り、留学を振り返った。

機内での時間は、行きと違い、自分の周りだけ切り離された孤空間のようだった。一人で、八ヶ月ぶんの時間を遡行するための空間。ペンを持った手は、いつまでも止まることがなかった・・・・・・。



ドイツ留学日記 了





[PR]
by white12211122 | 2015-07-23 18:55 | ドイツ留学の思い出 | Comments(0)
c0330562_07002262.jpg


一人旅から帰ってきた翌日の夕方、私が予約していたレストランに語学学校の友人たちと先生が二人、それに日本人の友人も数人加わって、全員で十五人ほど集まってくれた。

一番仲良くなった外国人と言えば、イタリア人青年のチロとその彼女のクリスティーナだ。彼らは私にイタリアで買った財布をプレゼントしてくれた。

友人たちからは一人旅はどうだった、と感想を聞かれたが、チロは「どうしてフライブルクで最後の一週間を過ごさなかったんだ。君ともっと一緒に遊んだり、晩御飯を食べに行ったりしたかったのに」と不思議そうに、少し憤慨したように言った。

そんな過ごし方も考えた。けれど、そんなふうに残りの日々が過ぎていくのを待つのは嫌だった。私の脳裏に浮かんだのは、寮のあの部屋で、夜に一人きりで感傷的になっている自分の姿だった。

もちろん、一週間の一人旅はそれよりもっと前から計画していたことだったが、彼らとより深く親しくなるのが怖くもあった。

これから先も、お互いが定期的に連絡を取り合う努力をしていけば、付き合いは続くだろう。けれど、例えば食事の後にみんなで街を歩き回ったあの夜のような、語学学校の教室で笑いあったあの日々のような親密さは、二度と戻って来ないような気がした。

それなら、これ以上親しくなるのは辛い。旅に出ていれば、少なくとも夜に余計なことを考えずにすむ。この感情は、誰にも言いたくなかった。日本に帰るのが寂しいだなんて、そんなことは誰にも言いたくなかったし、なんだか西洋かぶれのようで認めづらかったのだ。誰も、そんなことで責めるはずはないのだが。

翌日の夜は、日本人四人がいつものバーに集まって、最後の女子会を開いた。色んな話をしたと思う。私が帰国を前に恋人と喧嘩をしたこともあって(結局、帰国後の翌日には無事仲直りできたのだが)、他の三人の恋愛観の話が中心だった。それと、日本でまた集まって、フライブルクの会を開催しようという約束も。

恋愛も友人との約束も、フライブルクで過ごした日々も、この時はとても儚いもののように思えた。すくった手の隙間から瞬く間にこぼれ落ちていくような、砂粒みたいな記憶の数々。

その日の夜は、すぐには寝つけなかった。



[PR]
by white12211122 | 2015-07-21 22:00 | ドイツ留学の思い出 | Comments(0)
c0330562_17012791.jpg


まだ薄暗い早朝に、私はヴュルツブルク行きのバスに乗った。長かったように感じたベルリン滞在もこれで終わり、次の目的地ヴュルツブルクで数時間ほど過ごしたら、夕方にはフライブルク行きのバスに乗る。

私の留学最後の冒険だった、「ドイツ一週間一人旅」が完了するのだ。成し遂げた事とは言えないかもしれないが、一人で放浪を続けたこの経験は、きっと何かの糧、自信に繋がるという確信があった。

明日には、語学学校の友人たちと最後の食事会。一日おいた明後日の夕方になれば、もう羽田空港行きの飛行機のなかだ。

バスの窓から見えるベルリンの風景が、ゆっくりと、次第に速度を速めて、後ろへと流れていく。三時間のバス旅の間に、考えることは一つだけだった。日本に帰る日が来たなんて、実感がわかない、ということを。

ヴュルツブルクの空は灰色に曇っていた。ハイデルベルクと似た建築様式に、立ち並ぶ店はフライブルクを思わせる。なんとなく、南ドイツに戻ってきたのだと、肌で感じた。

ヴュルツブルクでは特に目的もなかった。ベルリンからフライブルクに戻るまでに、中継地点を挟んで、小規模ながらドイツを一周したかったのだ。ヴュルツブルクを選んだのは、私より一足先に留学をした同級生が滞在していたから、名前を覚えていたというだけだった。

ヴュルツブルクはロマンチック街道の起点であり、バロック調の古都、そして学生街だ。

私はこの街唯一の観光地と言えるレジデンツに足を向けた。

その途中、自転車に乗ったトルコ人の男性と目があった。彼はわざわざUターンしてこちらに近づき、「どこかで会ったことがないかな?」とあまりにも陳腐なセリフを言うものだから、私は笑いながら、「残念ながらないね」と応じた。

「それはとても残念だ。私の名刺をあげよう」「いえ、結構です」というやり取りを交わして、再びレジデンツに向かって歩き出した。

レジデンツは撮影禁止であったから、じっくりと内部を観察した。世界最大と言われる天井のフレスコ画を、イスに座って長いこと見上げていた。天才建築家バルタザール・ノイマンが設計した、バロック建築の傑作。

二階へと続く階段を見上げれば、このフレスコ画に迎えられ、神々と女神の壮大な絵に圧倒されることになる。階段を登った四隅に椅子が置かれていたので、私はそこからフレスコ画を見つめ続け、それに飽きてしまうと、森鴎外の小説の続きを読んだ。こんな素晴らしい世界遺産の下で、小説を読むという「贅沢」をしたくなったのだ。

休憩が済むと、二階の部屋を見て回った。白い漆喰で彩られた「白の間」と、金に輝くロココ様式の可憐な部屋に、私はガイド付きの見学ツアーに参加しなかったので観ていないが、鏡を張り巡らせた「鏡の間」というのも奥のほうにあるらしかった。

レジデンツのショップで、ボックスボイテルというフランケン地方特有の形をしたボトルに入った白ワインを家族へのお土産に買った。三ユーロという安さだった。私の好みは甘口なのだが、辛口好きの母にはちょうどいいワインだった。

レジデンツを後にした私は、大聖堂とノイミュンスター教会を通りすぎ、旧市街地区の中心的な道、大聖堂通りを歩いてマルクト広場をうろついた。市場で美味しそうなスモモを見つけたため、三つほど買って、それを食べ歩いた。

c0330562_17015841.jpg


アルテ・マイン橋の掛かる対岸にはマリエンベルク要塞が遠目に見えていたが、行こうとは思えなかった。荷物は中央駅のコインロッカーに預けていたが、疲れきったバックパッカーである私にはもうほとんど力が残っていなかったので、橋を渡ることはせず、ワインのショップに入って腰をおろした。

白ワインを適当に頼んで、ソムリエの資格を持つ父がいつもそうするように、一回ゆっくりとグラスを回して、鼻を近づけた。フルーツのような香りだが、何かまでは当てられない。

ワイン愛好家の真似事をした後、ワインを飲んでいると、私の隣で向かい合って座っていた二人のマダムのうちの一人が、私のその真似事を「わかってるわね」とアイコンタクトで評し、「乾杯」と言って、私にグラスを傾けた。私も二人にグラスを傾けて、そこから自然な流れとして、会話が始まった。

旅をしているんだと言うと、マダムたちははしゃぐように「素敵」と言ってくれた。二人は店を出るときにも、「良い旅を」と声をかけて、去っていった。

残された私は小説の続きをーー『雁』をそこで全て読み終えて、家族と恋人宛の絵葉書を書いた。バスの出発が近づくと、再び停車場に向かうため、ショッピングストリートであるカイザー通りを歩いて中央駅に向かった。

バスに乗った途端、私は思索の時間を放り投げて、フライブルクに着くまで、ほとんど眠り続けた。こうして、私の最後の旅が終わったのだった。

c0330562_17021975.jpg
c0330562_17023191.jpg



[PR]
by white12211122 | 2015-07-21 20:00 | ドイツ留学の思い出 | Comments(0)