auf der Reise~旅の空~

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作家を目指す院生です。ドイツ留学時代の日記を中心に更新していましたが、院試(転科)→就活などのドタバタ挑戦ブログだったり、お出かけブログだったりと、割りと何でもアリで色々やっています。美術館めぐりも少々。テニスを辞めてジム通い始めました。就職決まったので次は修論です。

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ドイツのお菓子 色々


ドイツ留学に行く前に、御菓子部門で働くことになった部活の先輩から、御菓子の写真を撮って欲しい、とお願いされていた。その時の写真を挙げておこうと思う。

ドイツにいた頃、私はチョコレートばかり食べていた。ベルギーとスイスに隣接していたおかげで、ドイツではチョコレート大国のチョコレートが安くで手に入った。


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食に興味のない私でも、チョコレートだけは普通に好きだった。リンツ、ミルカ、リッター。日常生活のなかにチョコレートが溢れていたのが、今ではとても懐かしい。


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by white12211122 | 2015-09-14 23:52 | ドイツ留学の思い出 | Comments(6)

ドイツのパン 様々


朝は必ずご飯を食べていた私も、ドイツ留学中は毎朝パンを買って食べていた。主に語学学校の近くにあった「K&U」か「Heltzmann」というパン屋で購入し、教室でパンの写真を撮るのが日課だった。「また写真撮ってる!」と級友たちが笑うのも。

今回は、その様々なパンの紹介を。


道化師の祭り(ファスナハト)時期のパン。

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林檎ジャムたっぷりのパン。

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フルーツいっぱいのパン。オレンジ色は卵ではなく杏。


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アメリカーナー。アメリカ人が食べている、というイメージがあるらしい。

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言わずとしれたプレッツェル。塩がきいていて美味しい。


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チーズプレッツェル。チーズが美味しいし、このプレッツェルは通常よりも柔らかくて食べやすい。

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プティングベルリーナー。ラム酒が少々。


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ベルリーナー。ベルリンでよく売られているらしい。なかにベリージャムが入っている。なぜか二個売り。

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林檎とシナモンのパン。

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イーストのねずみ。

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ヌスシュニッテン(ヌス=クルミ、シュニッテン=切り分けられたお菓子)

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エイリアン・・・ではなく、クリスマス時期限定のジンジャーマン。「エイリアンだ!」って言ったら先生に笑われた。確かにそう見えるわよね、って。


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アメリカーナーのハロウィン限定版。


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ハロウィン限定のパン。


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イースター時期限定のうさぎパン。


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同じくうさぎパン。

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うさぎパン。

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by white12211122 | 2015-09-14 20:15 | ドイツ留学の思い出 | Comments(2)
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by white12211122 | 2015-07-23 19:25 | ドイツ留学の思い出

ドイツ留学日記 完結

去年の9月から書き続けた「ドイツ留学日記」がとうとう完結しました。

2013年の9月から2014年の5月まで、ドイツのフライブルクに語学留学していた頃の記憶・日記・手帳・写真をもとに書いた、約8ヶ月間の記録です。

書き始めた当初は果てしない作業のように思いましたが、結局は一年以内に完成させることができました。感無量。もう一度留学を体験したようで、二度目の終わりを迎えたいま、少し感傷的になっています。記事総数は140以上。はじめはエッセイ風の書き方がわからず、短めでしたが、慣れるにつれてどんどん長い文章になっていきました。

本編?はこれで終了ですが、「留学こぼれ話(単なる書き忘れや、記事にするには写真もなく、短すぎたコラム)」・「あえて載せなかった留学の仄暗い話」・「ドイツの文化紹介(カフェ・お菓子・パン・お土産等)」はこれからもちょくちょく載せていこうと思います。

この後に更新する「ドイツ留学日記の裏側 書かなかったこと」は私のごく個人的な葛藤を書いているので、ファン登録された方限定公開とさせていただきます。限定公開はこの記事のみになります。

さすがにこのドイツ留学日記を全て読んだという方はいらっしゃらないと思いますが、お付き合いくださりありがとうございました。

(パソコンでの訪問者数が1900人を超えて、2000に近づいたので驚きながらも喜んでいます)



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by white12211122 | 2015-07-23 19:24 | ドイツ留学の思い出 | Comments(0)
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とうとう、二〇一四年五月十二日の朝ーー日本への帰国の日がやってきた。

大きな黒のリュックに、赤いボストンバック、それからまた赤いノートパソコンの鞄に、海外旅行用の大きなトランクーーリュックにはポーランド食器やクリスマスマーケットのマグカップが詰まっていたーーという、大量の荷物を抱えて、私はフライブルク中央駅からフランクフルトへ向かおうとしていた。

朝早くにもかかわらず、オルガン奏者のTさんは寮から駅まで荷物運びを手伝ってくれた。中央駅には他に日本人の友人二人、姉さんとSさんが見送りに来てくれた。

十二月の年末には、寮の玄関で沖縄から来たNを(あの日は雨が降っていた)、四月には私にとって最も関わりの深かったMをそれぞれ見送り、故郷に帰るのだという語学学校の友人たちと幾度も別れの握手を交わし、去っていく背中を見ていたのが、とうとう見送られる側になったのだ。

これでもう、置いていかれることはない。そう思えば、少しは気が紛れた。置いていかれるほうが、別れの後にしんみりと寂寥感が胸に残ってしまう。

とうとうバスの出発時刻になり、私は友人たちの姿が見えなくなるまで、窓から手を振り続けた。彼らの姿が見えなくなった途端、自分は一人に戻ったんだと感じた。ドイツに来たとき、そうであったように。何も持たない、何にも属さない、真っ白な自分に戻ったのだ。

結局、お別れ会の時も、この別れの瞬間にも、私が泣くことはなかった。一番親しくなったチロは、別れ際、目に涙を溜めていたが、私は目が潤むこともなかった。人前で涙を見せるくらいなら死んだほうがましだ、と頑なに思い続けていた時期を経て、いつの間にか目が乾いてしまったらしい。それでも、何も感じていないわけではない。むしろ、涙として発散しないぶん、いつまでも心に留まり続けるのかもしれない。

ドイツ留学は私にとって人生の夏休みであり、毒抜きであった。この「楽園」での記憶が、いつか私の青年時代の心象風景となって、甘くて淡い寂寥を引き起こす思い出になるのだろうと、早くも考えていた。

初めてドイツにやって来た日の大雨とは真逆に、この日の空は真っ白な雲を少し浮かべて、陽の光に輝いていた。ドナウ川のほとりで生まれた花の伝説を思い出させる、勿忘草色の空だった。

こんなふうに、「八ヶ月も過ごしたフライブルクを去ってしまうのだ」とセンチメンタルに浸っていたせいで、留学最後にして最大のハプニングの時が刻一刻と近づいていた。

バスを下りて空港のエスカレーターに乗っていた時、私はふと、荷物が軽いことに気がついた。実際には軽いどころではなく、ボストンバックとトランクをバスの荷台に置きっぱなしにしていたのだ。

すでにバスを降りてから、十分ほど経っていた。ざっと血の気がひき、甘いセンチメンタルは吹き飛んで凍りついた。私は重たいリュックとノートパソコンの鞄を持って、後ろに誰もいなかったため、エスカレーターを逆走し、空港を全速力で走り抜けた。

場所が空港だったため、私が外に飛び出した時、幸運にも私の乗っていたバスはまだ出発していなかった。そこで安堵しかけたのだがーー私が追いつく前に扉が閉まり、私の見ている前で、バスが発車した。

その時の私は本当に死に物狂いだった。ポーランドの片田舎で列車を追いかけた時の何十倍も本気だった。私は発車したばかりでまだ本来のスピードが出ていないバスを追いかけて、車体と並んで走った。手を振ったが、気づいてもらえない。私は持っていたペットボトルで扉を叩き、「開けてください!」と叫んだ。

そこでようやくバスが止まり、私は何度も土下座する勢いで謝り続け、車掌さんは「間に合ってよかったね」と笑いながら荷物を渡してくれたのだった。

その時点で気力が尽き果てており、日本には帰れないのではないかと思い始めていた。未遂で済んだものの、「もしも」を考えると、それから一時間以上は心臓が悲鳴をあげて、落ち着かなかった。震える手で荷物を抱え直し、あまりの重さにエスカレーターからひっくり返りそうになりながら、なんとか空港で荷物を預けた。

空港に着いたのは昼前だった。私の乗る便は、夕方の六時。ここで終わりではなく、私は四月に音大の院に受かってダルムシュタットへと旅立ったMと、フランクフルト市内で最後にもう一度だけ会う約束をしていた。

久しぶりに会うMは、住居探しで困っていたものの、同じ日本人の好意に助けられて、なんとか無事にやっていけているようだった。私は出来立てほやほやのえげつないハプニング話をMにして、ようやく人心地がついた。

二人で適当なカフェに入り、フライブルクでの思い出話にふけりながら、最後にカフェで写真を撮って別れた。Mからもらったプレゼントの一つに、ドイツの国旗模様のバインダーがあり、その後無事に飛行機の席に腰を下ろした私は、思いつくままそのバインダーのルーズリーフに今の気持ちを書き綴り、留学を振り返った。

機内での時間は、行きと違い、自分の周りだけ切り離された孤空間のようだった。一人で、八ヶ月ぶんの時間を遡行するための空間。ペンを持った手は、いつまでも止まることがなかった・・・・・・。



ドイツ留学日記 了





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by white12211122 | 2015-07-23 18:55 | ドイツ留学の思い出 | Comments(0)
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一人旅から帰ってきた翌日の夕方、私が予約していたレストランに語学学校の友人たちと先生が二人、それに日本人の友人も数人加わって、全員で十五人ほど集まってくれた。

一番仲良くなった外国人と言えば、イタリア人青年のチロとその彼女のクリスティーナだ。彼らは私にイタリアで買った財布をプレゼントしてくれた。

友人たちからは一人旅はどうだった、と感想を聞かれたが、チロは「どうしてフライブルクで最後の一週間を過ごさなかったんだ。君ともっと一緒に遊んだり、晩御飯を食べに行ったりしたかったのに」と不思議そうに、少し憤慨したように言った。

そんな過ごし方も考えた。けれど、そんなふうに残りの日々が過ぎていくのを待つのは嫌だった。私の脳裏に浮かんだのは、寮のあの部屋で、夜に一人きりで感傷的になっている自分の姿だった。

もちろん、一週間の一人旅はそれよりもっと前から計画していたことだったが、彼らとより深く親しくなるのが怖くもあった。

これから先も、お互いが定期的に連絡を取り合う努力をしていけば、付き合いは続くだろう。けれど、例えば食事の後にみんなで街を歩き回ったあの夜のような、語学学校の教室で笑いあったあの日々のような親密さは、二度と戻って来ないような気がした。

それなら、これ以上親しくなるのは辛い。旅に出ていれば、少なくとも夜に余計なことを考えずにすむ。この感情は、誰にも言いたくなかった。日本に帰るのが寂しいだなんて、そんなことは誰にも言いたくなかったし、なんだか西洋かぶれのようで認めづらかったのだ。誰も、そんなことで責めるはずはないのだが。

翌日の夜は、日本人四人がいつものバーに集まって、最後の女子会を開いた。色んな話をしたと思う。私が帰国を前に恋人と喧嘩をしたこともあって(結局、帰国後の翌日には無事仲直りできたのだが)、他の三人の恋愛観の話が中心だった。それと、日本でまた集まって、フライブルクの会を開催しようという約束も。

恋愛も友人との約束も、フライブルクで過ごした日々も、この時はとても儚いもののように思えた。すくった手の隙間から瞬く間にこぼれ落ちていくような、砂粒みたいな記憶の数々。

その日の夜は、すぐには寝つけなかった。



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by white12211122 | 2015-07-21 22:00 | ドイツ留学の思い出 | Comments(0)
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まだ薄暗い早朝に、私はヴュルツブルク行きのバスに乗った。長かったように感じたベルリン滞在もこれで終わり、次の目的地ヴュルツブルクで数時間ほど過ごしたら、夕方にはフライブルク行きのバスに乗る。

私の留学最後の冒険だった、「ドイツ一週間一人旅」が完了するのだ。成し遂げた事とは言えないかもしれないが、一人で放浪を続けたこの経験は、きっと何かの糧、自信に繋がるという確信があった。

明日には、語学学校の友人たちと最後の食事会。一日おいた明後日の夕方になれば、もう羽田空港行きの飛行機のなかだ。

バスの窓から見えるベルリンの風景が、ゆっくりと、次第に速度を速めて、後ろへと流れていく。三時間のバス旅の間に、考えることは一つだけだった。日本に帰る日が来たなんて、実感がわかない、ということを。

ヴュルツブルクの空は灰色に曇っていた。ハイデルベルクと似た建築様式に、立ち並ぶ店はフライブルクを思わせる。なんとなく、南ドイツに戻ってきたのだと、肌で感じた。

ヴュルツブルクでは特に目的もなかった。ベルリンからフライブルクに戻るまでに、中継地点を挟んで、小規模ながらドイツを一周したかったのだ。ヴュルツブルクを選んだのは、私より一足先に留学をした同級生が滞在していたから、名前を覚えていたというだけだった。

ヴュルツブルクはロマンチック街道の起点であり、バロック調の古都、そして学生街だ。

私はこの街唯一の観光地と言えるレジデンツに足を向けた。

その途中、自転車に乗ったトルコ人の男性と目があった。彼はわざわざUターンしてこちらに近づき、「どこかで会ったことがないかな?」とあまりにも陳腐なセリフを言うものだから、私は笑いながら、「残念ながらないね」と応じた。

「それはとても残念だ。私の名刺をあげよう」「いえ、結構です」というやり取りを交わして、再びレジデンツに向かって歩き出した。

レジデンツは撮影禁止であったから、じっくりと内部を観察した。世界最大と言われる天井のフレスコ画を、イスに座って長いこと見上げていた。天才建築家バルタザール・ノイマンが設計した、バロック建築の傑作。

二階へと続く階段を見上げれば、このフレスコ画に迎えられ、神々と女神の壮大な絵に圧倒されることになる。階段を登った四隅に椅子が置かれていたので、私はそこからフレスコ画を見つめ続け、それに飽きてしまうと、森鴎外の小説の続きを読んだ。こんな素晴らしい世界遺産の下で、小説を読むという「贅沢」をしたくなったのだ。

休憩が済むと、二階の部屋を見て回った。白い漆喰で彩られた「白の間」と、金に輝くロココ様式の可憐な部屋に、私はガイド付きの見学ツアーに参加しなかったので観ていないが、鏡を張り巡らせた「鏡の間」というのも奥のほうにあるらしかった。

レジデンツのショップで、ボックスボイテルというフランケン地方特有の形をしたボトルに入った白ワインを家族へのお土産に買った。三ユーロという安さだった。私の好みは甘口なのだが、辛口好きの母にはちょうどいいワインだった。

レジデンツを後にした私は、大聖堂とノイミュンスター教会を通りすぎ、旧市街地区の中心的な道、大聖堂通りを歩いてマルクト広場をうろついた。市場で美味しそうなスモモを見つけたため、三つほど買って、それを食べ歩いた。

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アルテ・マイン橋の掛かる対岸にはマリエンベルク要塞が遠目に見えていたが、行こうとは思えなかった。荷物は中央駅のコインロッカーに預けていたが、疲れきったバックパッカーである私にはもうほとんど力が残っていなかったので、橋を渡ることはせず、ワインのショップに入って腰をおろした。

白ワインを適当に頼んで、ソムリエの資格を持つ父がいつもそうするように、一回ゆっくりとグラスを回して、鼻を近づけた。フルーツのような香りだが、何かまでは当てられない。

ワイン愛好家の真似事をした後、ワインを飲んでいると、私の隣で向かい合って座っていた二人のマダムのうちの一人が、私のその真似事を「わかってるわね」とアイコンタクトで評し、「乾杯」と言って、私にグラスを傾けた。私も二人にグラスを傾けて、そこから自然な流れとして、会話が始まった。

旅をしているんだと言うと、マダムたちははしゃぐように「素敵」と言ってくれた。二人は店を出るときにも、「良い旅を」と声をかけて、去っていった。

残された私は小説の続きをーー『雁』をそこで全て読み終えて、家族と恋人宛の絵葉書を書いた。バスの出発が近づくと、再び停車場に向かうため、ショッピングストリートであるカイザー通りを歩いて中央駅に向かった。

バスに乗った途端、私は思索の時間を放り投げて、フライブルクに着くまで、ほとんど眠り続けた。こうして、私の最後の旅が終わったのだった。

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by white12211122 | 2015-07-21 20:00 | ドイツ留学の思い出 | Comments(0)
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大学で少林寺拳法部に所属していたため、ドイツに来たら絶対にどこかの道院で練習に参加させてもらおうと思っていた。残念ながら、フライブルクの周辺には道院がなく、近くてもアウクスブルクかミュンヘンであったから、留学も終わり頃にようやく念願が叶った。

勇ましく、道場破りのように突撃したーーわけではなく、ドイツ一週間一人旅に出る前に、ベルリン道院の方に連絡を取っておいた。そして、練習一日目、四人の少林寺拳士と出会った。一日目の道場は床だったので、四人で雑巾がけをした。全員日本語は話せないが、技の名称や挨拶などは日本語だ。

少林寺拳法は中国の武道ではなく、四国の香川を発祥とする、日本の武道である。簡単に言うと、勝ち負けよりも、心身共に鍛えて和を尊ぶことに重きを置く、といった武道であり、元々は戦後の荒廃した青少年教育を正すことを目的としていた節もある。中高帰宅部で三年程しかやっていない私に言えるのは、これくらいだ。とにかく、奥が深い。

二日目はまた別の場所で練習をしたのだが、ここでは先生やさらに多くのメンバーが集まり、先生主導のもと基本の修練を行い、その後段位別に技の練習を行った。始めたばかりの白帯の女の子から、十二年練習を続けて二段を取得した猛者まで、様々だった。日本のように「部活」というものがないため、始めるのも続けるのも、難しいだろうと思う。

私も一応は二段を取得していたため、私より二十センチは大きいであろう巨体の男性と組んで技の練習(柔法。関節技といったらわかりやすいだろうか)をしたが、梃子の原理等の理論はわかっていても、あまりの体格差に技がかからない。それでも何とか練習を続け、時には教え時には教わり、ドイツ語でのやり取りもなんとかこなしていった。ドイツ語も教わる時はすぐに説明を理解するのだが、辞書なしで教えるとなると、動詞がなかなか難しい。

練習が終わった後は、先生以外のメンバーたちと、初日のように飲みに行った。前日に知り合っていた男性からは、「今日はどこを観光したんだい?」と聞かれ、初めて会った人とは文学の話で盛り上がり、ベルリーナーヴァイスの、今度は緑を飲みながら、大いに楽しんだ。

ベルリンに知り合いなどいなかったのに、気づけば大勢の人達とテーブルを囲んで、旧知のように笑い合っていた。一人旅をしていると、一期一会で小さなやり取りが楽しめるのだが、ここまで話すことはない。少林寺拳法をやっていて良かったと、心から思った。

大学時代に一体自分は何を「専門だ」と自信を持って言い切れるのか、悩んでいた時期もあった。結局私は色んなことに挑戦しすぎたせいで、一つを極める、あるいは全力で思いつく限りの努力をしたといったことができなかったが、色々やっていたおかげで、留学がこんなにも多彩になった。色んなことに参加して、色んな人と出会い、笑い合えた。

一時でも仲間に加えてくれた彼らに、とても感謝している。ベルリン最後の夜は、笑いに包まれて過ぎていった。

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by white12211122 | 2015-07-20 22:00 | ドイツ留学の思い出 | Comments(0)
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今日も少林寺拳法のベルリン道院での練習に参加する予定で、道場に行く前に、レストランで昼食をとることにした。

本当なら、今日はバスでブレーメンに日帰りで足を伸ばすつもりだったのだが、昨日の練習で「明日なら先生も来るし、メンバーももっと来るんだけど」と言われたので、チケットを廃棄してベルリンに留まることにしたのだ。

今日はポツダムにも行こうか、と考えたりもしたが、連日歩き通しで、しかも昨日は久しぶりに少林寺拳法をやって、筋肉痛になっていたため、やめておいた。それに、ポツダムを半日で中途半端に見てしまうのはもったいない。一人で美しいものを見尽くしてしまうのも、なんだか悪いような気がしていた。ポツダムの宮殿は、家族にも見せたい。

レストラン「ツァ・レツテン・インスタンツ(Zur Letzten Instanz)」は、ずいぶん苦労して、三十分以上かけてようやく見つかった。

路地裏のような通りにひっそりとたたずむこのレストランは、市内最古の老舗で、郷土料理を出してくれる。創業は一六二一年。店内には、ナポレオンが座ったという席がある。こちらの席は予約しなければ座れないのだが、写真を撮ってもいいですかと聞くと、快く許可してもらえた。

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こんないい天気なのだから、店内よりは外で食べたい。私はテラス席に座り、木漏れ日のなかで疲れた体を休ませた。

メニューはベルリンで最も有名だという郷土料理「アイスバイン」という豚肉の料理と、「ベルリーナーヴァイス」というビールを頼んだ。

「アイスバイン」は、豚のすね肉を骨つきで茹でたもので、ものすごいボリュームだった。胸焼けしそうな量だったため少し残してしまったが、とても美味だったし、コラーゲンもたっぷり吸収できたと思う。

「ベルリーナーヴァイス」はベルリンオリジナルの、シロップ入りのビールだ。赤と緑の二種類がるため、今回は赤を選んだ。かなり甘口なので、甘党向けの飲み物だろう。

すっかり元気になったので、食後の休憩を挟んだあと、道着の入ったリュックを背負って、道場へと向かった。

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by white12211122 | 2015-07-20 20:00 | ドイツ留学の思い出 | Comments(0)
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森鴎外記念館を後にした私は、ティアガルテン地区の周辺を散策した。緑に囲まれたドイツの街も、首都ベルリンは東京のようにビルが密集しているのでは、と想像していたが、反対にどこよりも緑の多い都市だった。

ティアガルテンとは、「生き物の楽園(庭園)」の意。この地区を象徴する広大な公園「大ティアガルテン」は、ロンドンのハイド・パークに並ぶ規模であり、昔は王家の狩猟場であったという。

都市のど真ん中に、広大な森が広がっている。東京で言えば、明治神宮の鎮守の杜をさらに広大にしたような感じだ。

しばらく森のなかを気ままに歩き回り、小鳥の声に耳を傾けた。たっぷり新緑を味わったあとで、適当な出口から外へ出ると、目の前にジーゲスゾイレ(戦勝記念塔)がそびえ立っていた。

一八六四年、デンマーク戦争に勝利したことをきっかけに、プロイセンによるドイツ統一までの数々の戦勝を記念して建てられたもので、塔の先端には金に輝くギリシャ神話の勝利の女神ーーヴィクトリア女神の像がある。

円形の交差点の真ん中にあるため、本来は地下道を通るらしいのだが、行きは気づかずに通過してしまった。高い所は苦手なのだが、塔を見てしまうと登らずにはいられない。この広大な緑の都市を高い場所から一望したら、どんな景色が開けるのだろうか。

二百八十段以上の階段をせっせと登り、ようやく目の前に広がった眺望は、見渡す限りの緑だった。そこを、モーセの十戒のように、一本の道が森を切り分けて伸びている。

昔ーー高校生の頃に、「世界の道」という写真集を買ったのを思い出した。実際に見たことのない、馴染みのない風景を写真で見ても、期待したほど想像力は刺激されなかった。結局、一度見たきり本棚の奥の方にしまいこんでいたのだが、様々な「道」を見た今なら、ある種の共感を持って、あの写真集を読み返すことができそうだ。

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by white12211122 | 2015-07-20 15:45 | ドイツ留学の思い出 | Comments(0)