とうとうブログを始めて二年が経ちました。
本当に濃厚な日々でしたが、いま思えば、挑戦から始まったと言うよりは、挫折から始まったブログでした。
留学を経て成長したと思ったら、別の面では全然成長できていなかったとわかったり。
四年間大学で何を学んだと言えるんだろう、と客観的に考え始めたり。
青年期脱出のためのモラトリアムであったことは、間違いありません。
周りの同世代が社会人として経済的に自立しているのを横目に、自分は一体今まで何をしてきたのか、十歳の頃に小説家になると決めたのに、どうして進歩がないのかーーと、自分の何もかもが気に入らなくて、始終焦っていました。
もちろん、就職先が決まった今も。
それでも、大学院で心から尊敬できて、私のことを理解して下さる教授や、信念を持って創作活動をしている人に出会えて、成果はともかく最高の「肥やし」になりました。
どんどん出版化されていく、アニメの脚本のような作品に合わせるべきなのか。そんなふうに考えて、自分の作品を歪めたこともありました。
客観的に考えすぎて、長らく自分の作品の良さが見えなくなったり、創作の純粋な楽しみを見失ったり。
最終選考に残るようになって、夢が近づくほど、足場がぐらつきました。
自分の信念はどこに向けるべきものなんだろう、とか。
最近は教員の方々とお話する機会が何度かあったのですが、「教員をやりながら作家なんて<甘い>よ」という台詞を何度も聞きました。
きちんとしていて、ある程度持論を持っている。けれど、強い信念や人生の目標を持っているわけでもない。仕事も含めて、日々に満足しているわけでもない。
そして、甘いと笑っておきながら、必ずこう呟くのです。
「でも、そんなに夢中になれるものがあるって羨ましい。私にはそんな目標もないし」
なんてつまらない人間だろうと、愕然としました。その台詞、考え方のせいで、自分の物語においてですら主人公になれていないと、全く気づいていない。
他人の人生への満足度には興味がありませんし、それが人生の選択だと思います。
けれど、そんな身勝手な不満で、人の夢や努力、可能性に否定的な言葉を吐くのはーー。
怒りではなく、心底呆れ、嫌悪しました。
こんな人間が、教科書に書かれている文字以外に、何を伝えられるのか。と考えて憤りもしましたが、そもそも生徒とまともに関わる気もないのでしょう。
教員をやりながら小説を書くことは、「できるかできないか」という次元じゃない。
諦められるような、代えのきくような安いものなら、こんなに苦しんだり、喜んだりーー人生を懸けようと思ったりしない。
呼吸や食事を止められないように、「求めずにはいられない」のだから、出来る出来ないなんて最初から関係ない。
十歳からの十五年間、根っこにあるものはいつでも小説への情熱でした。
まさに諸刃です。大学院に入るまで、本当の意味でこの情熱に共感してくれた人はいませんでした。
なんでこんなに真剣なんだろう、という困惑の表情を浮かべて告げられる、記号のような「すごいね」に聞き飽きてしまって、小説の話に触れることすら、好きな作家を挙げることすら、諦めるようになりました。
「他人には理解できないよ」
と、教授。
「君はものを表現する人だから」
「芸術を生み出そうとする人間以外には、理解できない」
「それに、人間は人の努力や夢を妬むものだから」
「君は君の書きたいものを、そのまま追いかけ続けなさい」
好きな作家は、と聞かれて何人か挙げると、
「みんないい作家だ」
と、一言。
この言葉で、どれだけ救われたかわかりません。
それから、趣味で短歌を読む後輩の男の子は、
「自分の作品は自分が一番好きでいたいんです」
という言葉で、色んな大事なことを思い出させてくれました。
こんな言葉を聞きたくて、真剣に夢を追いかけている人に出会いたくて、大学に進学したいと思ったのを、すっかり忘れていました。
色んなことを、諦めてはいけないと思いました。
負けるのが敗北ではなく、諦めの積み重ねが致命的な敗北に繋がるのだとすれば、私は崖っぷちで、ギリギリ踏みとどまれたのかもしれません。
もちろん、そんな夢を追いかける人々に出会えなかったのは、自分が中途半端な位置にいたからだということも、認めないわけにはいきません。
何にも負けないよう、信念を持って努力し続けていきたいと思います。