auf der Reise~旅の空~

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作家を目指す院生です。ドイツ留学時代の日記を中心に更新していましたが、院試(転科)→就活などのドタバタ挑戦ブログだったり、お出かけブログだったりと、割りと何でもアリで色々やっています。美術館めぐりも少々。

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ドイツ留学~孤独感の対処法~

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両親が帰った日の夜、一人でフランクフルトからフライブルクへと戻る列車の中で、私は落ち着かない気分で音楽を聞いていた。どうもそわそわして、誰かと無性に話がしたくなった。意味もなく、大丈夫だと言われたくなった。寂しいのだと気づいたのは、それを自分で静めた後だった。

両親と四ヶ月間顔を合わせないと言うだけなら、別に珍しくもなんともない。LINEという便利なツールのおかげで、文字のやり取りは毎日のようにしていたし、毎月絵葉書を送っていた。

寂しかったからというのではなく、無事を定期的に知らせるのが出資者への義務だ――などと堅苦しいことを考えていたためなのだが、こんなことを言いながらも、久しぶりに顔を合わせれば、さすがに胸に込み上げてくるものがあった。フランクフルト空港で手を振りながら離れていく両親の姿を見送った時は、それ以上の焦燥感があった。

留学先での自分は、経済的には両親に頼りきりではあったが、どれだけ仲間と笑い合う時間があっても、「異国で自分は一人だ」という感覚は消えてなくならず、常に自分の中にあり続けていた。ただ、嫌な感覚と言う訳ではなく、いわゆる旅愁と言うもので、ある意味留学の醍醐味とも言える。

留学には、緩やかな孤独と、それ以上の自由がある。自由が過ぎて、自分の帰属意識が曖昧になることもある。どこにだって行けるんだ、と開放的になる時もあれば、自分が今どこに立っているのかがわからなくなり、自分の時間は止まっていて、日本にいる友人たちの時間だけが流れているような、置いていかれている気分になる時もある。

私は精神を鍛える意味でも留学をしようと思ったのだが、留学中はその寂しさを他人に埋めてもらおうなどとは考えるべきではない、と考えるようになった。他人にいくら寂しいのだと言ったところで、空虚さは他人では埋められないからだ。一人に話してももやもやが残り、さらにもう一人、また別の人にも――と愚痴り続けたところで、結果は同じだろう。それを聞かされている人の方は、たまったものではない。

これは留学に限った話ではない。いつかは、そういう気分を自分でコントロールしなければならない。

けれど、そもそも、空虚さや孤独は悪いわけではない。悲しみは傷になるが、哀愁は別の活力を与えてくれる。いわゆるハングリー精神が、哀愁から生まれることもある。そうした機敏を知っている人は、甘くもないが、本当の意味での優しさも持ち合わせているような気がする。

異国の友人と孤独について語るのはいい。ただ、同郷の人にそれを語れば、傷の舐め合いになりかねない。

ではどうやってコントロールするかと言えば、まず考え方の話からすると、私の場合は孤独や哀愁を「味わう」ようにしていた。ワインの苦味のように、舌で転がして味わえばいい。幸福感だけに包まれた生活よりも、多少苦い思いをするほうが、後で思い出した時に充足感がある。実際、自分は異国に一人だと思いながら街を散歩するのは、詩人気取りの心地よさがあった。

もっと具体的な対処法は、予定をたくさん入れて、忙しくすることだ。余計なことをつい考えてしまうのは、大体夕方から夜にかけてだ。疲れきっていれば、孤独について延々と考える時間が勿体無いと気づくだろう。

自分を楽しませる努力も必要だ。少し自分を喜ばせる何かをすること。美味しい物、欲しい物。他人に甘えるのではなく、自分で自分を甘やかしてみればいい。自分がどうしてもらいたいかを一番知っているのは、当然自分になる。それを他人に求めるのは酷と言うものだ。

そして最後に、強い自分を望むこと。望んで、そうあろうと意識すれば手に入る。逆に言えば、強くなりたいと思わないなら、ずっと孤独に負け続けるのを甘んじて受け入れるしかない。

誰だって少しは寂しい。私はそのことを実感して、なぜか少しほっとした。




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by white12211122 | 2015-03-11 03:07 | ドイツ留学の思い出 | Comments(0)