auf der Reise~旅の空~

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作家を目指す院生です。ドイツ留学時代の日記を中心に更新していましたが、院試(転科)→就活などのドタバタ挑戦ブログだったり、お出かけブログだったりと、割りと何でもアリで色々やっています。美術館めぐりも少々。

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ドイツ留学~留学の終わり フランクフルトから羽田空港へ~

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とうとう、二〇一四年五月十二日の朝ーー日本への帰国の日がやってきた。

大きな黒のリュックに、赤いボストンバック、それからまた赤いノートパソコンの鞄に、海外旅行用の大きなトランクーーリュックにはポーランド食器やクリスマスマーケットのマグカップが詰まっていたーーという、大量の荷物を抱えて、私はフライブルク中央駅からフランクフルトへ向かおうとしていた。

朝早くにもかかわらず、オルガン奏者のTさんは寮から駅まで荷物運びを手伝ってくれた。中央駅には他に日本人の友人二人、姉さんとSさんが見送りに来てくれた。

十二月の年末には、寮の玄関で沖縄から来たNを(あの日は雨が降っていた)、四月には私にとって最も関わりの深かったMをそれぞれ見送り、故郷に帰るのだという語学学校の友人たちと幾度も別れの握手を交わし、去っていく背中を見ていたのが、とうとう見送られる側になったのだ。

これでもう、置いていかれることはない。そう思えば、少しは気が紛れた。置いていかれるほうが、別れの後にしんみりと寂寥感が胸に残ってしまう。

とうとうバスの出発時刻になり、私は友人たちの姿が見えなくなるまで、窓から手を振り続けた。彼らの姿が見えなくなった途端、自分は一人に戻ったんだと感じた。ドイツに来たとき、そうであったように。何も持たない、何にも属さない、真っ白な自分に戻ったのだ。

結局、お別れ会の時も、この別れの瞬間にも、私が泣くことはなかった。一番親しくなったチロは、別れ際、目に涙を溜めていたが、私は目が潤むこともなかった。人前で涙を見せるくらいなら死んだほうがましだ、と頑なに思い続けていた時期を経て、いつの間にか目が乾いてしまったらしい。それでも、何も感じていないわけではない。むしろ、涙として発散しないぶん、いつまでも心に留まり続けるのかもしれない。

ドイツ留学は私にとって人生の夏休みであり、毒抜きであった。この「楽園」での記憶が、いつか私の青年時代の心象風景となって、甘くて淡い寂寥を引き起こす思い出になるのだろうと、早くも考えていた。

初めてドイツにやって来た日の大雨とは真逆に、この日の空は真っ白な雲を少し浮かべて、陽の光に輝いていた。ドナウ川のほとりで生まれた花の伝説を思い出させる、勿忘草色の空だった。

こんなふうに、「八ヶ月も過ごしたフライブルクを去ってしまうのだ」とセンチメンタルに浸っていたせいで、留学最後にして最大のハプニングの時が刻一刻と近づいていた。

バスを下りて空港のエスカレーターに乗っていた時、私はふと、荷物が軽いことに気がついた。実際には軽いどころではなく、ボストンバックとトランクをバスの荷台に置きっぱなしにしていたのだ。

すでにバスを降りてから、十分ほど経っていた。ざっと血の気がひき、甘いセンチメンタルは吹き飛んで凍りついた。私は重たいリュックとノートパソコンの鞄を持って、後ろに誰もいなかったため、エスカレーターを逆走し、空港を全速力で走り抜けた。

場所が空港だったため、私が外に飛び出した時、幸運にも私の乗っていたバスはまだ出発していなかった。そこで安堵しかけたのだがーー私が追いつく前に扉が閉まり、私の見ている前で、バスが発車した。

その時の私は本当に死に物狂いだった。ポーランドの片田舎で列車を追いかけた時の何十倍も本気だった。私は発車したばかりでまだ本来のスピードが出ていないバスを追いかけて、車体と並んで走った。手を振ったが、気づいてもらえない。私は持っていたペットボトルで扉を叩き、「開けてください!」と叫んだ。

そこでようやくバスが止まり、私は何度も土下座する勢いで謝り続け、車掌さんは「間に合ってよかったね」と笑いながら荷物を渡してくれたのだった。

その時点で気力が尽き果てており、日本には帰れないのではないかと思い始めていた。未遂で済んだものの、「もしも」を考えると、それから一時間以上は心臓が悲鳴をあげて、落ち着かなかった。震える手で荷物を抱え直し、あまりの重さにエスカレーターからひっくり返りそうになりながら、なんとか空港で荷物を預けた。

空港に着いたのは昼前だった。私の乗る便は、夕方の六時。ここで終わりではなく、私は四月に音大の院に受かってダルムシュタットへと旅立ったMと、フランクフルト市内で最後にもう一度だけ会う約束をしていた。

久しぶりに会うMは、住居探しで困っていたものの、同じ日本人の好意に助けられて、なんとか無事にやっていけているようだった。私は出来立てほやほやのえげつないハプニング話をMにして、ようやく人心地がついた。

二人で適当なカフェに入り、フライブルクでの思い出話にふけりながら、最後にカフェで写真を撮って別れた。Mからもらったプレゼントの一つに、ドイツの国旗模様のバインダーがあり、その後無事に飛行機の席に腰を下ろした私は、思いつくままそのバインダーのルーズリーフに今の気持ちを書き綴り、留学を振り返った。

機内での時間は、行きと違い、自分の周りだけ切り離された孤空間のようだった。一人で、八ヶ月ぶんの時間を遡行するための空間。ペンを持った手は、いつまでも止まることがなかった・・・・・・。



ドイツ留学日記 了





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by white12211122 | 2015-07-23 18:55 | ドイツ留学の思い出 | Comments(0)