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auf der Reise~旅の空~

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作家を目指す院生です。ドイツ留学時代の日記を中心に更新していましたが、院試(転科)→就活などのドタバタ挑戦ブログだったり、お出かけブログだったりと、割りと何でもアリで色々やっています。美術館めぐりも少々。

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三月の始め、ファスナハトのシーズン中に、スイスのルツェルンを訪れた。ルツェルンはスイスの中央に位置する水の都。市街を流れるロイス川に、川に架けられた街のシンボル「カペル橋」。人は水辺の光景に惹かれる、何故なら体内に流れる「水」が呼応するからだ、というような話を聞いたことがあるが、写真を一目見た瞬間に惹かれた。

この街を教えてくれたのは、隣人の「姉さん」ことKさんだった。声楽をやっている姉さんはスイス人の先生に師事しているのだが、スイスは物価が高いので、スイスに近いドイツということでフライブルクを選んだのだった。

日本人会ということで、私と姉さん、神戸のSさん、コルマールで出会ったR氏の四人で行くことになった。

その日の朝、私はあろうことか、寝過ごしてしまった。目覚まし時計をセットしたつもりでいて、実は解除してしまっていたのだ。大慌てで着替えて、路面電車に飛び乗った。路面電車を待つ間に、道路に飛び出してヒッチハイクでもしようかと思ったほどだったが、さすがに車の前に飛び出すほどの勇気はなかった。

心臓がバクバクと鳴っていた。まだバスは出発していないが、このままでは間に合わないかもしれない。電話して、数分だけ待ってもらえないかと、運転手にお願いしてもらうしかない。電話をかけようと思ったら、プリペイド携帯の電源が切れていた。絶体絶命である。

私はそばにいた女性に、大変申し訳ないのですが、遅刻しそうなことを友人に伝えたいので携帯を貸して頂けないでしょうか、と恥をしのんでお願いした。すると、こちらも意外なほど快く携帯を貸してくれたので、R氏に連絡を取ることができた。

「今日は日曜日だし、いつもより早く中央駅に着くはずよ。ほら、人がほとんど乗ってこないでしょう?」

携帯を貸して下さったばかりでなく、その女性は優しく私を落ち着かせてくれた。そこで少しだけ余裕が出来て、中央駅に着くまではその女性と話をした。その女性の息子さんも、留学中なのだと言う。

本当にありがとうございました、と頭を下げて、中央駅のバス乗り場まで走った。ちょうど、R氏がバスの運転手に事情を話した直後に到着した。バスを待たせずにすんだが、周りにかなり迷惑をかけたので、安心すると共に、胃が痛かった。

出発はそんな風だったが、ルツェルンまでは特に問題もなくたどり着いた。まずはバスでチューリヒまで移動する。スイスとの国境では、パスポートを見せなければならない。スイス人もかなりきっちりしているのだが、パスポートは預けた鞄の中に入れてしまったんだけど、と申告したR氏には、「ここは皆日本人グループなんだろう? じゃあいいよ」と告げて、チェックせずに去っていった。

普通ならありえないのだが、日本のパスポートは他国からの信頼という点で世界最強という話は本当だったらしい。

チューリヒから列車に乗って、一時間程度。

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最初は曇り空だったのだが、しばらくすると晴れてきて、中世のような街並みと相まって、どこか浮世離れした水の都が現れた。急な変化に、感嘆の言葉しか出なかった。

本当に綺麗な物を見て感動した時というのは、「うわあ」とか「綺麗」とか、簡単な言葉しか出なくなる。この時も、そんな言葉を連発しながら、風景の一部を切り取って持って帰ろうとするかのように、何枚も写真に撮った。数枚だけでは勿体無いような気がしたのだ。

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水辺に一日中いてもいいのだが、一通り楽しんだ後、街の中央へ向かって歩いていった。水辺と違い、街の中心地はバーゼルやチューリヒと似たような建築と構造なので、さほど感動しなかった。

駅の周辺で既に見かけていたが、街の中心地に向かう途中で、様々な仮装姿の人々とすれ違った。一般の参加者とは思えないほど力の入った、レベルの高い仮装だった。ここまで手をかけるのか。そもそも、ここにはどうやって来たのかと問いたくなるほどだった。

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この日は少し寒かったので、私も今日は私服だったのだが、私服姿の私たちは浮いていた。

ルツェルンのカーニバルは、フライブルクとは比べ物にならないほどの規模だった。

写真に撮られるのがステータスと言わんばかりに、こちらの「写真を撮ってもいいですか」というお願いに、喜んで応じてくれる。

日本と違うヨーロッパの良い点は、気軽に見知らぬ他人に声をかけられるところだ。私はたくさんの「すれ違った人々」と記念写真を撮った。

一体何人がこの街に集結しているのか、見当もつかなかった。

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人、人、人。誰もが陽気に浮かれて騒いでいる。まさに「目で楽しむ」イベントだった。こういう参加型の祭りというのは、本当に素敵だと思う。

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休憩でカフェに入り、道化師のケーキとスムージーを頼む。

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友人たちとすぐに感想を言い合えるのも、一人旅とはまた違う楽しみがあった。




by white12211122 | 2015-04-03 08:10 | ドイツ留学の思い出
今日は大学院のガイダンスがありました。

専攻である民俗学に加えて、他学科授業として「ドイツ文化」と「美術館学特殊研究」、第三外国語として「初級イタリア語」を選択しました。

語学教室に行くことを考えれば、学校で初級だけでも勉強していれば、後は問題集で何とか出来るでしょうから、お得です。来年は、余力があればフランス語を。

今年の挑戦は「公募に小説を四作品投稿」、そして、「その全てで賞を取る」です。それから、「イタリア語」と「朗読」はのんびり趣味として。来月からは早速「修士論文」のデータ集めを。今月は、「古文」と「英語」の復習に決めました。

先月、塾講の先輩が最後のお言葉として、「自分の主戦場を作って下さい」とスピーチされたのを聞いて、自分の「主戦場」、つまり絶対に自信を持って「任せてください!」と言えるもの(教科)はなんだろう、と考えて、怖くなりました。

大学三年生の頃から、ずっと悩んでいたことです。学生の間に色んな新しいことに挑戦しておきたい、という選択をした結果、自分の専門性が低くなってしまったのです。そこから目を背けて、「アレとアレとコレをやっているから仕方ない」と言い訳ばかりの自分が、心底嫌でした。

最近はようやく、「逃げるな、出来ないってことを認めろ!」と自分に一喝し、薄目を開いて恐る恐る受け止めるようになったので、「まずは苦手な古文と忘れてしまった英語をやり直して、自信を取り戻そう」と決めました。

以前出来たことが出来なくなっている、と認めるのって、結構難しいんですよね。「それって手抜きじゃない? 逃げてない?」と、自分でちょっと立ち止まってみる。「妥協しない」ってそういうことなのかな、と最近になって思うようになりました。



by white12211122 | 2015-04-03 00:50 | その他の挑戦

3月の読書

by white12211122 | 2015-04-02 23:49 | 先月の読書
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2014年3月3日、フライブルクはRosenmontag(薔薇の月曜日)で盛り上がりを見せた。木製の仮面に独特の衣装、大きな鈴や木製の何か(店で売っていたが、何と言うのかは忘れてしまった)、ブラスバンドの隊列がマルティン門までの長い一本道を闊歩していく。

「ナリ、ナロ!」

そんな掛け声と共に、時折観客にいたずらをしながら。

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Roseは薔薇だが、ライン地方の方言でrohsenは狂乱するという意味なので、「狂乱の月曜日」とも言われている。

この日、語学学校は休講で、教室全てを使ってファスナハト・パーティーを開催していた。

椅子取りゲームに風船割りゲーム。顔にペイントをして、写真を撮った。日本人は風景を撮りたがるが、ヨーロッパ人は自分の写真を撮りたがる。今撮った写真を送ってくれないか、と言われることも多く、気づけば留学先で知り合った友人がFacebook上で100人を超えていた。

「誰も知り合いのいない異国で、一から人間関係を築くこと」。留学三ヶ月目の頃は今とは違う焦り方をしていたが、あの頃望んでいたものは手に入った。町を歩いていれば、高確率で「やあ、Y」と知り合いに声をかけられる。親の転勤や上京で、地元の知り合いがほとんどいなかった私にとって、生活圏内で誰かと会うのは不思議な感じがした。



by white12211122 | 2015-04-02 07:00 | ドイツ留学の思い出
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ヴァルドキルヒのファスナハトに参加した後で、場所はフライブルクに戻り、私たちは行きつけのバーに行った。

バーといっても、学生たちがダンスだなんだと騒ぐような場所ではなく、どちらかといえば、近所のおじさんやおばさんが集まる、隠れ家的な落ち着いたバーだった。素朴で温かみのある、いかにもドイツ的といったそのバーには、素敵なママさんがいた。その日はそのママさんに、ファスナハトのパーティーにお呼ばれしていたのだ。

店に着いた頃にはすでにパーティーが始まっていて、老紳士とマダムが音楽に合わせて、軽快なステップを踏んでいた。誰もが派手な衣装に身を包み、知り合いも初対面も関係なく、小さなバーで笑い合っている。私の赤ずきんの衣装が普段着に見えるほどだった。ほとんどが手作り衣装で、当然、私服だなんて野暮なものはどこにも見当たらない。

私の顔を見ると、ママが「いつものビールでしょ」とウィンクを一つ残して、カウンターに戻った。

いつものやつ、とは、私が必ず注文する「ラドラー」のことだ。南ドイツ特有のビールをリンゴジュースで割った裏メニュー的なもので、こういうとおしゃれに聞こえるが、苦味が苦手だからビールは飲めないの、という日本人女性の口によく合う、いわばお子さま用のビールだ。

ちなみにこの店以外でこのメニューを頼むと、「もともとレモネードで甘くなっているビールを、さらにリンゴジュースで割るの? ずいぶん甘党ねえ」と必ず笑われる。レッドジュースという、ビールベースにトマトジュースを加えたカクテルを、「そういえばビールになんかジュースを混ぜるやつがあったっけ、リンゴだったかな」と間違えたのが始まりだった(日本人女性と出会うたびにこのビールを勧めていたので、そのうちフライブルクのバーで、「日本人女性は妙な裏メニューを頼みたがる」という話が広まるかもしれない・・・・・・)。

皆楽しそうに踊っていたが、気恥かしさといったものをあまり感じない私でも、ダンスだけは恥ずかしくてできなかった。ビールで何人もの人と乾杯し、写真を撮って、さあ支払いをして帰ろうかという時間になった。

「支払いをお願いします」

ママを呼ぶと、

「あら、だめよ。私と一曲踊ってからじゃないと!」

彼女はにっこりと笑って、逃げ出そうとする私たちを捕まえた。踊れないの、と一応申告しておいたが、「問題なし」と言い切られてしまったので、ママと踊ることになった。

若者が踊るような激しいダンスではなかったので、ママのステップをそのまま真似するだけでよかった。私だってまだ二十二歳だったけれど、あいにくダンスの才能がないのは、高校の文化祭でよくわかっていた。

一曲踊って汗をかいたところで、カウンター席でこちらを見ていたオジサマに声をかけられた。

「それじゃあ、今度はおじさんと踊ろう」

なんとか要領がつかめたので、向かい合って好きなように踊った。もちろん社交ダンスだとか、高度なペアダンスなどではなく、曲に合わせて手足を動かすような簡単なものだったが、それだけでも楽しかった。

楽しそうじゃない、とその場に三人のマダムたちが入ってきて、お次は「恋のマカレナ」が流れた。これだけは知っていたので、マカレナ・ダンスを知らないというマダムたちに、今度は私が教えることになった。

学生街の小さなバーで、ファスナハトの夜が更けていく。その日は少しばかり長居して、異国の祭りを存分に楽しんだのだった。



by white12211122 | 2015-04-01 21:31 | ドイツ留学の思い出
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とうとう道化師のカーニバル、ファスナハト(Fasnacht)が始まった。

ファスナハトというのは、「断食の前夜祭」、つまり断食の前に行われるカーニバル(謝肉祭)と、春の訪れを祝うシュヴァーベン・アレマン地方の伝統的な祭りが合わさった中世起源の行事である。カトリック系の行事で、中心地はケルンやデュッセルドルフなどのノルトライン=ヴェストファーレン州。南ドイツでは、コンスタンツのファスナハトが有名だ。

ファスナハトが始まるのは、「汚い木曜日(Schmutziger Donnerstag)」(脂身の多い物を食べる日ということで、脂身(schmalz)が訛って「汚い」になったらしい)。

イースター(復活祭)より46日前の最初の木曜日なので、毎年開催時期は異なる。そして、「灰の水曜日(Aschenmittwoch)」で終わる。最も賑わうのは、「バラの月曜日(Rosenmontag)」。ネーミングが面白い。

ドイツでは、このファスナハトというのは「第五の季節」と呼ばれるほど特別な行事で、地元民と観光客が一緒になって騒げる、最も愉快なイベントである。


以前遊びに出かけたヴァルドキルヒが、私のファスナハト初参戦となった。

語学学校のイベントとして皆で行くことになったので、神戸のSさんと一緒に、待ち合わせ前に衣装を買っていくことにした。デパートの地下のおもちゃ売り場が、ファスナハト時期には仮装グッズで溢れかえる。ああでもない、こうでもないと相談した結果、私は赤ずきんの衣装を、Sさんは悪魔の角と槍を購入して、語学学校前へと急いだ。

イベント好きな彼らだから、皆仮装してくるだろうと思っていたのだが、仮装してきたのは私とSさん、つまり日本人だけだった。ハロウィンの時もそうだったが、クリスマスなど、自分たちに馴染みのない異国の行事には、参加はしてみるものの、そこまでの情熱を刺激されないらしい。

ブライザッハのワイナリー見学で仲良くなったイタリアのパオラを加え、三人でふざけあったり、写真を撮ったりして、行きの列車の中から大いに楽しんでいた。

列車の中は仮装した人々で満員だった。そのため、仮装していないほうが浮いてしまうという奇妙な光景で、私はその異常さを気に入った。こういう酔狂は大好きだ。

地元民はほとんどが白い寝巻き姿だった。こういう仮装をするのが流儀らしい。

あまりの人の多さに、現地では別行動を取ることになり、私とSさんは二人で気ままにそのへんを歩き回った。たまには日本語ではしゃぎたい。

子どもたちの仮装が可愛らしかったので、一緒に写真に写ってくれない、と聞いてみると、ノリよく応じてくれた。

すれ違う人が「Rotkäppchen!(赤ずきんだね!)」と陽気に声をかけていく。中には間違えて「Schneewittchen(白雪姫だね!)」と声をかけていく人もいたが、どちらでも構わないので、会話を交わすたびに記念写真を撮っていった。

屋台でザウアークラウトを食べて、一時間半ほど滞在しただろうか。木製の仮面を被った道化師のパレードを見終えて、現地解散となったらしいと聞いて、駅に向かった。

カーニバルと言っても、参加者は多いが特に盛り上がりがあるわけでもなかった。フライブルク近郊の小さな町なので、観光者がわざわざ来ることはないだろう。外国人と言えば留学生くらいのもので、この時、アジア人は私とSさんの二人だけだったと思う。仮装して散策し、屋台で何かつまむだけのイベントだった。それでも、その素朴さが「地元の祭りに参加している」と実感できたので、まったりと楽しむことができた。

駅で列車を待っていると、白い寝巻き姿の女性の、上着のポケットに目がいった。何か、細長いものが差してある。一瞬目を疑ったが、それは長いソーセージだった。さすがに驚いていると、その女性と目が合った。

「ソーセージ、持ちきれないくらいあるのよ。だからここに差してるの。一本いる?」

その女性はにこにこと笑いながら、私にソーセージを手づかみで差し出した。私はとても愉快な気分になって、ありがとう、とそのソーセージを受け取った。もちろん、日本でなら絶対に受け取らなかっただろう。私は「指紋がついたもの」に関して、時々妙に神経質なところがある。それでも、この時は別に汚いとも思わなかった。

彼女は小さな娘と一緒に来ていて、同じく白い寝巻きを着たその女の子は、パンを持っていた。パンも鞄に入りきらないほどあるという。Sさんがその子からパンを受け取ったので、お互い半分こにして、美味しく頂いた。食べる前に、記念写真を撮った。

派手さはない代わりに、交流の多い祭りだった。こちらのほうが、ずっと価値があるだろう。もちろん。

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by white12211122 | 2015-04-01 20:29 | ドイツ留学の思い出